Vol.3 トランペット奏者

ガルシア 安藤 真美子(ガルシア あんどう まみこ)

profile
東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●名古屋市立菊里高等学校音楽科卒業・東京藝術大学音楽学部卒業
●洗足学園音楽大学講師
朝日新聞社「コジンレン」講師

友だちに誘われて吹奏楽部に参加

私がはじめて吹奏楽を聴いたのは小学校の低学年の時でした。
小学校の吹奏楽部チームが、赤いベストを着てフォーメーションを組みながら颯爽と演奏する姿にあこがれて、家でも「吹奏楽ってかっこいい!」と話していたそうです。

「真美子は本当に音楽が好きなのね」
と母にいわれたことを憶えています。

小学校の吹奏楽部は4年生から入部できるのですが、いざとなると「楽器演奏未経験だけど大丈夫かな?」という不安もありました。
たまたま友だちから「一緒にやろうよ」と誘われて、いきおいで参加。
たちまち夢中になりました。
ピストンバルブを押す時の感触が大好きで「誰よりも速く指を動かしたい!」と無心に練習しました。

「トランペットを演奏する仕事をする」
小学校5年生の時には、決めていました。

顧問の先生が教えてくれた
音楽人生のマイルストーン

その後、転校などで一時吹奏楽から離れていましたが、中学校入学と同時に吹奏楽部に入りました。

巡り合わせというのでしょうか、中学校時代は顧問の先生や仲間に恵まれ、練習すればするだけ結果を出せる、吹奏楽部が成長期に差しかかるタイミングでした。

「まず県大会突破を目標にがんばろう、その次は、全国大会であこがれの普門館デビューを果たそう!」と、
顧問の先生に励まされて目標に向かって土曜日も日曜日も、朝も放課後も練習しました。

以前は楽器を吹くかわりにキャッチボールを楽しむ、のんびりした吹奏楽部が急成長したのは、当時の顧問の先生のおかげです。

顧問の先生は、音楽大学でトロンボーンを専攻された方で、土曜日も日曜日も夏休みも部員の練習ができる環境を整え、コンクールでの入賞の折に新しい楽器購入を実現してくれました。

その一方で、ご自分も管楽器奏者なので、各楽器のトレーナーから正しい奏法を学べるように手配してくださったのです。無理のない奏法で、コンディションをコントロールしながら練習ができるような配慮も怠りませんでした。

先生のおかげで、私が1年生の時には、県大会で金賞(代表には選抜されないいわゆるダメ金)、2年生の時には、東海支部大会で金賞(代表には選抜されない金賞)と着実に成績をあげることができたのです。

「はじめてづくし」の音楽合宿

はじめて音楽合宿に参加したのは、中学3年生の夏でした。
県大会を突破して2回目の東海支部大会に出場することが決まり、全国大会代表に選ばれる金賞を目指すために、吹奏楽部史上はじめての音楽合宿を行うことになったのです。

つまり、私の音楽合宿デビューは、吹奏楽部にとってもはじめての合宿。合宿についての前例がない真っ白な状況で、自分も合宿経験がなかったので、練習メニューも決まっていません。

「何をしたらいいの?」でも前例にしばられないで「何でもできるよね!」
ということで、トランペットのパートリーダーとして「合宿だからこそできる練習」に取り組もうと意気込みました。

まずは自分でやってみせる
フラットな目線で後輩と接する

そこで思いついたのが、当時大人気のWALKMANを使ったパート練習。
ホルンを演奏している友だちのお兄さまの貴重なWALKMANを拝借して、トランペットのパート練習を録音、3パートのハーモニーがきれいに決まっているか、リズムのキャラクターは揃っているかなど、自分たちの耳でチェックしました。
今なら、携帯を使ってできることですが、当時はとても新鮮でした!

パート演奏を客観的に聞き、チェックするために、使い慣れないWALKMANをたどたどしく操作する私の後ろ姿を見て、後輩たちも何かを感じ取ってくれたようでした。

「トランペットが好き」で生まれたチーム力

こうして迎えたコンクール。残念ながら、全国大会にはあと一歩及ばずでした。
あこがれの普門館のステージに立つ夢は、実現できませんでした。

けれども、得たものは大きかった。
先輩後輩関係なく、トランペットが大好きな仲間ができて、練習以外でも私服で遊びに行ったり、卒業後もみんなで会いました。
同じ音楽を志す仲間として、フラットな目線でのコミュニケーションのとり方が、自分のなかに根付きました。

凍てつく体育館で
凍えながらバテながら「アンコン」の練習

吹奏楽コンクールが終わると、アンサンブルコンテスト(通称アンコン)の選抜メンバーとしての練習が始まります。

アンコンは、1チーム最大8名までのチーム編成で指揮者なしで行うため、吹奏楽コンクールとはまた違った練習が必要になります。

練習自体は白熱しますが、広くて寒い体育館で8人での練習ですから、時間がたつにしたがって唇や口周辺がバテてしまい、音そのものが出ないようになる。
それでもかまわず、ふり絞るようにして練習したものです。

後輩たちの「手づくりのお守り」を持ち
アンコン全国大会へ

そんな折に、アンコンに参加できなかった後輩たちから手渡されたのが、全国出場を祈っての手づくりのお守りでした。

うれしかった。
今も大切にしています。

仲間の気持ちが込められたお守りを楽器ケースにつけて出場したアンコンでは、はじめて全国大会に出場することができました。
この手づくりお守りは、今も、私にとって大切な宝物です。

New Sounds in BRASSを愛聴
「私は佼成ウインドオーケストラに入るから!」

中学3年間の課題曲は、「風紋」「カーニバルのマーチ」「風と炎の踊り」で、佼成ウインドオーケストラの参考演奏を何回も何回も聞いてコンクールにのぞみました。

課題曲だけでなく、佼成ウインドオーケストラが収録した「New Sounds in BRASS」も大好きで愛聴していました。

友だちや家族には、
「私は佼成ウインドオーケストラに入るから!」と口にしていましたね(笑)。

プロの演奏家を目指して
「音楽科」への進学を選ぶ

中学3年生の2学期に、顧問の先生から「このまま吹奏楽部を続けるなら、推薦で入れる高校があるよ」とお話がありました。

先生の気持ちはありがたかったけれど、プロの演奏者をめざしていた私にとっては、吹奏楽部のさかんな高校に入学することによって、その先どうなるのか、イメージがわきませんでした。
今思うと、コンクールに向けて頑張るという気持ちが、燃え尽きていたのかもしれませんね。

「‥‥もう1つ『音楽科』に進むという道もあるよ」
と先生に言われた瞬間、ぱっと道がひらけました。

「チャンネルを切り替えて、プロの演奏家になるための勉強をしよう」と決め、受験までの限られた時間の中で、音楽科受験に必要なピアノとソルフェージュをめいっぱい勉強しました。

こうして入学した音楽科は、1クラス40名の大半が、ピアノや弦楽器専攻で、小さなころから訓練を重ねてきた人たち。
トランペットを専攻するのは私1人で、名古屋フィルのトランペット奏者のかたに教えていただきました。

最初は戸惑いがあったものの、新しい友だちができて、トランペットの勉強だけでなく、授業の一環でオーケストラを学んだり、クラッシック分野の勉強をしたり、音楽大学入学のための準備をして、音楽をより広く、深く学ぶことができました。

その後、東京藝術大学で学び、トランペット奏者としての活動をはじめました。

自分の音楽人生をふりかえってみると、部活動に一生懸命に取り組んだ小学校中学校時代も、プロになるための次のフェーズとしてより深く広く専門的に音楽を学んだ高校大学時代も、どちらも大切だったと思います。

進路について2つの選択肢を示してくれた、顧問の先生の存在はとても大きく、感謝しています。

TKWOのメンバーとして
普門館のステージに立った!

「目指せ全国!目指せ普門館!」で練習に励んだものの、手の届かなかった普門館。

あこがれの普門館のステージに上がったのは、佼成ウインドオーケストラ(以下TKWO)のメンバーとしてでした。

口には出さなかったけれど
「私、今普門館のステージに立っているんだ!」と心の中でガッツポーズ(笑)。

中学生だったころの自分や、もっとさかのぼって小学生になったばかりの自分に向かってのガッツポーズだったかも…(笑)

中学時代に何回も聞いた課題曲の参考演奏にも参加して、中学校時代の課題曲だった「風紋」「カーニバルのマーチ」「風と炎の踊り」3曲全てを演奏する機会に恵まれ、感慨もひとしおです。

「演奏者同士、フラットな目線で」
音楽に向き合う姿勢は今も昔も変わらない

中学3年生の音楽合宿で心がけた「パートをまとめるには、フラットな目線で、まずは自分が一生懸命がんばってみせる」「こうしたらいいんじゃないか?とみんなで試行錯誤する」の2点は、今も変わりません。

プロ演奏者になっても、たがいにリスペクトしながら、一緒に音楽をつくるという姿勢を大切にして演奏に取り組んでいます。

みんなへのメッセージ