Vol.13 トランペット奏者
奥山 泰三(おくやま たいぞう)氏
profile
●東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●兵庫県神戸市出身
●武蔵野音楽大学音楽学部器楽学科トランペット専攻
●1984年第1回日本管打楽器コンクール入選
●昭和音楽大学講師
●ザ・トランペットコンサート
●日本トランペット協会常任理事

貯めたお年玉で買った
初めてのトランペット
僕の音楽との出会いは、まだ記憶もない1歳ぐらいのときに遡ります。私のお気に入りは折りたたみ式のおもちゃの木琴で、いつもそれを叩いて遊んでいたそうです。それが影響したのか、小さなころから音楽が大好きな子どもでした。
トランペットを初めて直に見たのは、小学校1年生のときです。運動会で、5、6年生のトランペット鼓隊がファンファーレを演奏しているのを目にして、なんてかっこいいんだと。でも、そのトランペット鼓隊には、5年生にならないと入ることができません。早く入りたいと思っていた小学校2年生の頃に妹がピアノを習い始めたので、「僕も音楽が好きなのに」と親に文句を言いピアノを習いに行くようになりました。
5年生になると、満を持してトランペット鼓隊に入りました。吹くのはもちろん初めてですが、1年生の運動会でトランペットに憧れて以来、トランペットを持たずともイメージトレーニングが完璧でした。テレビでドリフターズを見ていても、注目していたのは後ろにいるバンドのトランペット奏者です。じっくりと見て、トランペットの持ち方、構え方を真似していたので、改めて習う必要がありませんでした。試しに吹いてみなさいと言われたときもすぐに音を出すことができました。
吹き始めてすぐに自分のトランペットがどうしても欲しくなり、貯めていたお年玉を使って神戸のヤマハで一番安い22,500円の楽器を買いました。今でもはっきり覚えています。翌朝から校門が開くと同時に登校して、朝礼が始まるまで毎日ロングトーンをして、もちろん放課後にも練習していました。
中学生のときに
助っ人として高校のコンクールに
全国大会で何度も金賞を取っている関西学院大学応援団総部吹奏楽部という有名な団体がありました。それを知った僕は、関西学院中学部に入れば、中学校から大学まで10年間トランペットを思いっきり吹けると考え受験をしました。かなりの難関校でしたが、トランペットを吹き続けたい一心で頑張って、無事に合格することができました。
入ってみたら大学とは違って、男子校ということもあり人数が10人くらいしかいない、こじんまりとした吹奏楽部でした。指導する先生がいるわけでもなく、想像していたのと違うなと思いましたが、それがかえって自分にとっては良かったのかもしれません。そもそもマニアックな音楽好きばかりが集まっていたので、自由にのびのびと練習できる、楽しい部活動でした。
中学校でも、もちろんトランペット。もっと良いものが欲しくなり、今度は西宮の三木楽器で新しいものを買いました。また自分のお金を使いましたが、その時に買ったのは一番安いものではなく、プロモデルのトランペットです。
中学校3年生のとき、高等部の吹奏楽部からトランペットが足りないから僕を貸してほしいというオファーが学校に来て、高校生のコンクールに一緒に出ることもできました。少し緊張しましたが、それまでは10人ぐらいの演奏しか経験していなかったので、面白かったですね。助っ人として参加したコンクールが、僕にとってある意味、初めての吹奏楽の演奏だったかもしれません。


合宿で作曲した曲を演奏
今も残る夜中まで譜面を書いた思い出
高校でも、迷わず吹奏楽部に入りました。人数は30人ぐらいに増え、練習もきっちりとやっていましたが、やはり自主運営で、先生はノータッチの部活でした。その日の練習内容や文化祭で演奏する曲、スケジュールも自分たちで考えていました。やること全てが自分たちで話し合った結果で、全員が経験者なので曲のアレンジもできる。困ったことがあると大学の吹奏楽部に聞きに行って、教えてもらうこともありました。自主的に取り組む音楽が、とても楽しかったですね。
高校では、初めての合宿も経験しました。さすが私立の学校で、広い敷地に、山小屋や100人くらい入る大きなベースキャンプなどがある、立派な施設がありました。そこの山小屋を二つか三つ借りて、さらに、全面ガラス張りの三角屋根をした礼拝堂で、毎日練習をしていました。合宿も自主運営で、先生もOBの先輩もいません。それでも、音楽をしたい人しかいないので、練習はしっかりとやっていました。
私の合宿の思い出は、何と言っても「曲作り」です。その吹奏楽部では伝統的に、毎年合宿で一人一人曲を作って最終日に発表をしていました。部員全員がアンサンブルや吹奏楽などの曲を作り、そして自分で人を集めて練習をしてもらい、作った曲を発表しなければなりません。やりたくない、は許されず、どんなに変な曲でもよいので、必ず全員参加です。
作曲をしてみんなに練習してもらわないといけないし、自分も演奏を頼まれるので、他の人の曲を練習する必要もあります。さらに、確か三泊四日だったと思いますが、みんな合宿に来てから曲作りを始めるので、かなりタイトな日程です。山小屋なので勉強机があるわけでもなく、夜も練習が終わったらベッドの上で夜中までみんな譜面を書いていました。
印象深いのは、やはり最後の3年生の合宿です。トランペット協奏曲を作曲しました。ソリストは自分で、吹奏楽伴奏です。
1、2年生のときは完成させるのに必死で終わってしまったので、最後の合宿では参考にする曲を事前に選び、気合を入れていました。
参考にしたのは、ハイドンのトランペット協奏曲です。それをお手本に、ここで主題を作って、展開して、それから再現部を作って…2楽章はうたって、3楽章はソリストのテクニックを見せるように…と、それまで勉強した知識をフルに活用して曲を書いていきました。
本番では、どんな演奏をしたのかあまり記憶がありません。ただ、思ったよりうまく演奏できたな、と嬉しく感じたことを覚えています。残念だったのは観客がほとんどいなかったことです。大きな編成を書いたために部員のほとんどが演奏者になり、聞いてる人がいなくなってしまったんです(笑)。それが唯一の誤算でしたね。
発表会では順位もつけるのですが、自分の曲が何位だったかも覚えていません。必死に曲を作ってみんなで演奏できた、それだけでもう本当に嬉しかったんです。曲作りの勉強をして、わからないことがあったら仲間に聞いて部員同士教え合って、夜中まで必死に楽譜を書いて。おかげで朝は眠くて仕方がありませんでしたが、自分たちで決めて好きでやっているので、苦ではありませんでした。本当に楽しかった。このときの経験が、今もいろいろな意味で生きていると思います。

受験を見送り
浪人してプロのもとで修業した一年間
音大に進みプロになると決めたのも、高校3年生のときです。後輩の叔父さんが大阪フィルハーモニー交響楽団のトランペット奏者だったので、受験を控えた僕は、その後輩に頼んで紹介してもらい、会いに行きました。
話をして僕のトランペットを聴いてもらったところ、「今年音大を受けても通るけれど、一緒に一年間修行をしよう。一年間で必要な基礎を全て教えるから」と提案してくれました。プロとしてやっていくには僕に基礎が足りないと言うんです。それを聞いた僕は、その年の受験をやめて、浪人をして修行の一年間をすごしました。一ヶ月に一回ホームレッスンに通って、課題をもらってひたすら練習。1日8時間位練習していました。
なぜそのとき、1年間浪人させてまで一緒に修行をしようと言ったのか。今、自分が教える立場になってみると、よくわかります。ただ上手いだけではダメで、音楽の世界で生きていくためには、例えば、「ここの二分音符はこう吹いて」と言われたら、同じ形でその音を千回でも一万回でも永遠に出すことができないといけないんです。テーマがあって、そのテーマが何回出てきても同じ形で吹くことができないと、「このテーマが少し重いから軽くして」と言われても、わからないし永遠にできません。それだと、プロとして仕事をすることは難しい。
当時の僕はアマチュアとしてプロに教わるでもなく練習をしているだけだったので、プロの奏者が聞くと僕が出している二分音符なら、二分音符のスタイルが演奏するたびにまばらだと気になったのでしょう。スタイルを統一するための基礎を、みっちりと一年間、叩き込んでもらいました。多くの人がその基礎を習っておらず、そこで苦労をしています。社会に出て音楽の仕事をするようになり、改めてありがたさを感じています。
一番楽しいのは
本番後にビールを飲むこと
もちろん、プロの道にすすんでからも、迷うことだらけです。今でも、もっといい吹き方があるのではないか、と毎日のように考えています。自分の音楽をチェックすることも必要ですし、練習しないといけないこともたくさんあります。年をとったら楽になると思っていたのですが、どんどん大変になっていますね。音楽的な欲求ラインは上がっていく一方なのに、肉体はあるときを過ぎると下がっていく。ここのギャップがだんだん大きくなっていくので、楽になることはないですね。
仕事をしていて一番楽しいのは、本番が終わってビールを飲んでいるときです。そのために生きているようなものですから。水泳選手の北島康介さんがテレビのインタビューで、「イメージトレーニングではどんなことをイメージしていますか」と聞かれて、「表彰台に上って金メダルをかけているところです」と答えていました。自分が早く泳いでいるところをイメージすると、力が入ってしまうため早く泳げないと言うのを聞いて、なるほどなと思いました。だから僕も、演奏がある日は、朝起きて、いい演奏をしているところではなくて、仕事が終わって楽しく飲んでいるところを想像しています。音楽にも緊張と解放が必要ですね。力を抜くことができる、楽しいことが演奏には不可欠です。


若い人たちに伝えたい
「やっていいこと」を考える大切さ
現在は、自分の演奏活動だけではなく指導者としても仕事をしていて、高校の合宿に呼ばれることも多いですね。僕のようなプロを合宿に呼んでくださる学校は、人数も多く演奏会やコンクールと精力的に活動している団体がほとんどなので生徒たちも一生懸命です。ある合宿で夜の合奏で注意されたことを翌日の朝5時に起きて練習していたのには驚きました。しかも、部員の数が多い学校では、コンクールに全員が出られるわけではありません。中には選抜などもあり、みんな必死になっています。見ていると、ああ、これが彼らの青春なんだなと思いますね。僕のときとは様子がまったく違いますが、自分はそういう部活動を経験していないので、ちょっとうらやましく感じます。
合宿に行くと、僕は1時間半くらい朝の時間を必ずもらって、演奏だけではなく、どうやってコンディションを作るのかを教えるようにしています。トランペットの場合、コンディションがとても重要で、無理して吹くとコンディションが崩れてしまいます。演奏を始める前に、朝、丁寧にウォームアップすることが大切なんです。
まず、まっすぐに息を出せるかどうか、そのまっすぐ出した息で唇が振動するか。「ぶー、ぶー」と唇を震わせます。それができたら、マウスピースでまっすぐ吹く確認をします。トランペットを常に良い音で吹くために何をしなければいけないか、一緒にやって順番に組み立てていって、それからやっと楽器です。
最初に滑らかにまっすぐ音を出すロングトーン的な練習をして、次にリップスラー、指が早く動いても真っ直ぐ吹く練習…と、生徒と一緒に順番通りやってみるんです。僕がやって生徒がやって。ここまでがコンディションを整えるために必要な工程で、無理をしてはいけない練習です。それからやっと、負荷をかける、鍛える練習。コンセプトをしっかり考えて、コンディションを整えて音を作る練習なのか、鍛える練習なのかを理解し、負荷のかけ方を変える必要があります。
こういうことを時間をかけて伝えられるのは、合宿の良い点ですね。僕自身、毎朝コンディションを作っていますし、合宿後の演奏会などに向けて合宿のすきま時間で練習もしています。プロのウォームアップや練習を直接見るチャンスでもあります。
それから、プロが帯同しない合宿でも、みんなでご飯を食べる、お風呂に入って大騒ぎするといった、楽しい時間も合宿の重要な要素です。楽しみを持つことは、音楽にはすごく大切です。コンクールの上位常連のような学校の生徒たちは、常に緊張している気がします。でも、良い演奏をするためには、先ほどお伝えしたように、緊張と解放のバランスが必要です。羽目を外していいときは外していいんです。

今の若い人たちは、良くも悪くも真面目すぎるかもしれないですね。彼らに伝えたいたいことは、「やっていいこと」を考えてほしい、ということです。指導していても、彼らは否定形で、やってはいけないことばかりを考えているように感じます。何をしたらダメなのかを常に気にしていて、あれを試してみよう、こんな挑戦をしてみようと、やっていいことを考える癖がないんですね。だから、みんな同じになってしまう。若い皆さんには、やっていいことを考えてほしい。それを工夫してほしい。自分で考えてアイディアを出して、「ここをこうやって吹いてみたのですが、先生どうですか」と言ってほしいと思います。やっていいことを考えて音を出すことが、結果として、良い演奏に繋がるはずです。

短い言葉の中に印象的な表現をいくつも織り込み、一つ一つのエピソードが色鮮やかに浮かぶような、独特な語り口が印象的だ。
プロとしての厳しさを持ち、音楽をひたむきに追求し、そしてお酒を愛し人生を楽しむ。
さまざまな顔が、音楽家としての魅力につながっているように感じた。
触れ合った多くの若者も魅了され、その出会いを、彼ら自身の音楽人生の貴重な糧としていることだろう。
