Vol.6 ホルン奏者
堀 風翔(ほり ふうか)氏
profile
●東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●武蔵野音楽大学卒業
●東京ELEMENTSメンバー
兄の背中を追いかけて、金管バンドクラブへ
3人兄弟の末っ子で、小さな頃はいつも6歳違いの兄の背中を追いかけていました。
管楽器との出会いも、兄がきっかけです。
中学校の吹奏楽部でチューバを担当していた兄が、たまたまユーフォニアムを自宅に持ち帰って練習しているのを見て「すごい!何だろう?僕もやってみたい!」となりました。
小学校3年生のころです。
さっそく小学校の金管バンドクラブに入部、トランペットを担当しました。地域のお祭りでマーチングパレードを披露したり、音楽祭に参加して、楽しかったことを覚えています。
文武両道・男子中高一貫校の吹奏楽部に入部
中学校は、兄と同じ中高一貫校に入学しました。
部活も、兄と同じ吹奏楽部に入部。中学生と高校生が一緒に演奏する、中高一貫校ならではの吹奏楽部でした。
私が中学に進学した年に、兄は大学に進学したので、一緒に部活をする機会はなかったけれど、顧問の先生や先輩たちが、みんな兄のことを知っていて「堀先輩の弟なんだね!」と声をかけてくれたのは心強かったです。
「部活動は学業の妨げにならない程度に」という学校の方針もあり、ふだんは平日の放課後に練習、コンクール直前になると、土曜日、日曜日も練習するというスケジュールでした。
高校2年の秋、吹奏楽コンクールが終わると「隠居」と呼ばれて大学受験準備に専念するのが慣例になっていました。
ハードな校風&ハードな編成
入学したのは、名門大学への進学を目指す文武両道の男子校。
「全校有段者主義」といって、正規の授業の中に柔道や剣道が組み込まれており、全員が剣道または柔道の有段者を目指していました。ハードな校風で、私も柔道初段(黒帯)を取得しています。
吹奏楽部は、中学・高校の6学年合わせて総勢30名ほどのメンバーで構成されていました。少人数の吹奏楽部では、トランペットなど人気の楽器に偏ってしまい、吹奏楽に必要な他のパートが足りなくなる、という編成上のハードな問題が生じます。
入部当初は小学校時代と同じトランペットを担当しましたが、夏休み前に、顧問の先生から「悪いけれど、しばらく打楽器を担当してもらえないかな」と話があり、打楽器に移りました。中学1年生の最初の吹奏楽コンクールは、打楽器で出場しました。たしか、1年生の体育祭のマーチングあたりまで打楽器を担当したかな‥
先輩たちに、ユーフォニアムからフルートに持ち替える人などもいたので、はじめての打楽器でしたが、普通に受け入れて練習していましたね。
その後トランペットに戻りましたが、中学3年生の6月ごろ、基礎練習をしていると、顧問の先生から「堀くん、ちょっと」と声をかけられました。
「今日から、君はホルンに変わって欲しいんだ」と言われて、ホルンを手渡されました。
「えっ、今からですか?」とさすがにびっくりしたのを覚えています。
これが私とホルンとの出会いです。
音楽合宿は、社会経験の予行演習だぜ
中高一貫校時代に、4回ほど音楽合宿に参加しました。
中でも印象深いのは高校2年生の夏、吹奏楽部の部長としてメンバーを率いて行った4泊5日の音楽合宿です。
合宿では、コンマスが演奏面の計画をたて、部長が演奏以外の生活面を取り仕切る役割分担になっていました。
学業優先の進学校で、ふだんは全員参加のまとまった練習が難しい中で、4泊5日の音楽合宿は吹奏楽コンクールに向けた貴重な練習機会でした。
「支部予選をクリアして、都大会出場を目指す」ことを目標に、実りある音楽合宿とするために、事前準備も怠りませんでした。
今、社会人となって振り返ってみると、中高時代の音楽合宿は、社会経験の予行演習だったなぁ、と思います。
仲間意識が育つ
合宿中に、初めて音楽合宿に参加した中学生のメンバーが夜中に騒いで、合宿所のオーナーに叱られてしまったこともあります。
翌日改めて、騒いだメンバーを連れてお詫びに行きましたが、合宿中にはめをはずすと、みんなに迷惑がかかることも当事者は理解できたと思います。
心労が重なったからでしょうか(笑)、私自身も起床時間に起きられずに、寝過ごしてしまったことがあります。部長が寝坊すれば、必然的に全員朝寝坊となり、ラジオ体操を省略して慌ただしく朝ご飯を済ませて練習したのも、懐かしい思い出です。
小学校を卒業して間もない中学1年生から、部内では「隠居」と呼ばれる高校3年生まで、年齢差のある男子30名のチームですが、5日間寝食をともにすることによって、自然に仲間意識が育ちました。
練習をともにするだけでなく、みんなで叱られたり、みんなで寝坊する共通体験も、ある意味チームワークに役立ったのかもしれませんね(笑)。
ちょっと苦手な先輩とも、寝食をともにすることで、距離が近づく
入部したころは最上級生がちょっと怖かったです。13歳と18歳では、心身ともにかなりのギャップがありますからね。
でも不思議なもので、合宿中に先輩のいろいろな面を知ることで、距離が近づいたような気がします。
合宿の行き帰りの移動中に、サービスエリアでお菓子食べている先輩を見て親しみを感じたり、私服のセンスが予想外にお茶目な感じであれっ、と驚いたり‥。
人にはいろいろな面があるんだなと気がつくことも大切だと思います。
「ついて行く」立場から「みんなを牽引する」役割へ
高校1年生までの音楽合宿では、言われるままについて行きましたが、部長になると今度はみんなをひっぱっていく立場。コンクールに向けて、メンバーが揃って集中して取り組める5日間を実りの多い時間とするために、先生や、コンマスと相談して、これまでの合宿の経験も取り入れて、スケジュールをたて、合宿のしおりを作りました。
毎朝6時30分にラジオ体操、7時に朝食、8時から約4時間の練習、昼休み休憩をはさんで午後の練習4時間、夕食後に全体練習が標準的なタイムスケジュールで、毎日10時間以上の練習です。
トレーナーやOBにも声をかけて、とにかく朝から夜まで、練習漬けの貴重な5日間でした。
将来は科学者に_未来絵日記を変えたホルン
中高一貫校に入学するころまで、漠然とですが将来は研究者になりたいと考えていました。
小学校を卒業するころに「未来絵日記」を作ったのですが、そこに白衣を着て実験する自分の姿を書いています。コツコツと実験して、未知のものを発見したいと思ってました。
勉強が好きでしたが、志望校に入学後は、次第に勉強への情熱が静まっていきました。
勉強への情熱が下火になる一方で、ホルンへの情熱、楽器演奏の楽しさは深まり、やりがいを感じるようになっていました。
高校2年生の夏の音楽合宿を終え、吹奏楽コンクール、文化祭などの行事が終わると、仲間は部活を隠居して大学受験の準備に入りましたが、私は自分の進路を決めかねていました。
思いきって、顧問の先生やホルンのトレーナーに「音楽大学に進学して、ホルン演奏を仕事にしたい」と相談したところ、2人とも、賛成してくれたのです。
こうして、高校2年生の秋、音楽大学進学を目指して受験の準備を始めました。
吹奏楽部の顧問の先生は武蔵野音楽大学でサックスを学んでこられた方で、ホルンのトレーナーも、武蔵野音楽大学を卒業されたプロ奏者でした。
そこで、音楽大学受験のための個人指導をトレーナーにお願いして、音楽大学受験に必要な課題曲の練習や、基本知識を学び、武蔵野音楽大学に入学することができました。
ちなみに、武蔵野音楽大学入学以降も、引き続きトレーナーに師事しました。私にとって、大切なホルンの師匠です。
先生のような音色を出したい
トランペットや打楽器などいろいろな楽器を経験して、最終的にホルンにたどりつきましたが、トランペットにも、打楽器にも、それぞれの楽器ならではの魅力があり、楽しかったです。
ホルンは音色が安定しなかったり、音がはずれやすいために、初心者からは敬遠されがちな楽器です。
けれども、その難しいところをどうやって克服するか、トレーナーや先輩からアドバイスしてもらったり、基礎練習に取り組んで1歩1歩乗り越えていくプロセスが楽しいです。
ホルンを担当するようになってからは、一体どうしたら先生のような音色が出せるか?先生の奏でるホルンの音色に近づくことを目標に、無心に練習しました。
こうして、高校2年生で出場したコンクールの自由曲ザ・レッド・マシーン(作曲:ピーター・グレイアム)では、ホルンのソロパートを担当できることになり、はりきりました。今も大好きな曲の1つです。
音楽合宿を楽しもう!
はじめて音楽合宿に参加する人の中には「いつもと違う環境のなかで自分はうまくやっていけるのかな…」「なんとなく不安だ…」という人もいるかもしれませんね。
ふりかえってみると、音楽合宿は「環境変化に慣れる予行演習」だったかなと思います。
中学生や高校生のみなさんも、これからの人生、やがては社会人として企業や組織に所属する日が来るとおもいますが、社会人になれば環境変化は避けられないもの。異動したり、転職したり、いろいろな環境に身をおいて、いろいろな考え方の人とチームで働く際に、音楽合宿で培った経験は、必ず役に立ちます。
あれこれ頭のなかで考えるよりも、まずは最初の一歩を踏み出すこと。
きっと「音楽合宿、行ってよかった!」となります。
音楽合宿、楽しみましょう!