Vol.17 オーボエ奏者・副コンサートマスター
宮村 和宏(みやむら かずひろ)氏
profile
●東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●東京藝術大学卒業
●昭和音楽大学、洗足学園音楽大学、各非常勤講師。
●ソリストとして東京佼成ウインドオーケストラ、東京交響楽団、東京ゾリステン、瀬戸フィルハーモニー交響楽団、アンサンブル神戸、マリインスキー劇場沿海舞台交響楽団、カザフ交響楽団をはじめ多くの楽団と共演。また、国内外のオーケストラに客演首席として多数参加。

バリトンサックスを希望したものの
枠がなくオーボエ担当に
小さなころからリトミック教室に通っていて音楽が好きだったことから、中学に入学すると迷わず吹奏楽部に入部しました。私が希望していたのは、オーボエではなく、バリトンサックス。小学校のときに買ってもらったCDラジカセで、テレビゲームの音楽をアレンジしたCDを聴いていて、その中のバリトンサックスがすごくカッコよかったんです。しかし幸か不幸か、私が入学した年はバリトンサックスの募集がありませんでした。枠が残っていたのがオーボエで、先輩に、「オーボエって楽器、知ってる?」と聞かれて、「知りません」と答えたことを覚えています。結局、そのままオーボエを担当することになりました。
希望していたわけではありませんが、とにかく楽器を吹きたかったので、よし、頑張ってやってみようという気持ちでした。後から、オーボエは世界一難しい木管楽器としてギネスブックに認定されていると聞いてびっくりしましたが、やりがいがあるぞと感じましたね。ちょうどその頃、オーボエの演奏が流れるCMがヒットしていて、その奏者のCDを買って聴いてみたんです。こんなにカッコいいのか!と、すっかりはまってしまいました。
その部活は関西大会にも出場して、顧問も熱心でした。私も部活漬けの生活で、吹奏楽がやりたい、オーボエが吹きたいから学校へ行く、という毎日でした。練習を続けていて芽生えたのが、「もっと上手くなりたい、そして上手な人たちと一緒に演奏したい」という強い気持ちです。中学校2年生のときにプロになろうと決心しました。そして、東京藝術大学音楽学部附属音楽高等学校に進学し、親元から離れて関西から上京しました。
高校時代は部活動がなく
門下合宿に参加
その高校はひと学年に3〜40人くらいしかおらず、3年間同じクラスで担任も一緒。オーボエも学年に私一人だけでした。人数が少ないため部活動もありませんでしたが、オーケストラや室内楽などの授業があり、私は東京藝大の教授からオーボエのレッスンを受けていました。学校での練習のほかにも、アマチュアの吹奏楽団やオーケストラにエキストラで参加したり、高校3年以降はプロの現場に呼ばれて演奏する様になりました。
私にとって高校時代の合宿の思い出というと、部活動の一貫としての合宿ではなく、学校以外で開催されていたプロの奏者などが門下生を集めて行う「門下合宿」です。私は門下ではなかったのですが、NHK交響楽団を退職したオーボエ奏者の門下合宿にお誘いいただいて、高校2年から大学を卒業するまで毎年参加していました。
有名な奏者の門下合宿ということで、そこには音大生や社会人など多くの方が参加していました。国内外の有名奏者も遊びに来ていて、建物を一棟まるまる借り切っておよそ50人が一緒に寝泊まりする、大規模なものでした。

今につながる
合宿での出会いと経験
門下合宿によっては、決まった時間にレッスンを行うものもありますが、その合宿では特に、レッスンなどはスケジュールされていませんでした。1日中、誰かがどこかでオーボエを演奏していて、ああでもないこうでもないとオーボエについて議論をしている人もいれば、ゆっくりお茶を飲んでいる人もいる。上手な人を見つけて演奏を聴いてもらいアドバイスをもらったり、誰かが急にリードの作り方講座やりますと言いだして人が集まってきたり。同時多発的にさまざまなイベントが開催されていました。本当に過ごし方は人それぞれで、自主性を持って動くことが大事でしたね。
夜は毎晩、「出たい人はどうぞ」という形式の発表会があり、合宿で初めて知り合った音大生とアンサンブルをしたこともありました。この合宿で出会ったアマチュアの音楽家で、今でも親交がある方もいます。本当に濃密な時間だったと思います。
その合宿以外に、当時ベルリンフィルを退職したばかりの奏者が来日して行った合宿形式の講習会にも参加しました。そちらはまた内容ががらっと変わって、毎日レッスンを受けて、夜は先生のコンサートを聴くこともできました。この合宿では、自分のレッスンだけではなく他の受講生のレッスンも必死に聴講しましたね。ベルリンフィルのカラヤン時代の一番の奏者の方ですから、それこそスーパースターの指導を直に聴くことができるわけです。音大生がオーケストラスタディーで、オーケストラのパートのソロについて、例えば「ベートーベンの田園のここはソロがズレやすいから、ここを聴いてこうやって…」なんていう細かいアドバイスを受けていました。今プロとして活動していて、よくオーケストラの公演にエキストラとしてお呼びいただくのですが、あのときに聴いた指導の内容が今でも頭に残っています。楽譜を持っていなかったのでメモを取ることができなかったのですが、記憶に刻み込まれていて、その通りに吹いてみるとうまくいくんです。改めて考えても、本当に贅沢で貴重な時間でした。



日常を離れ
オーボエだけに没頭した合宿の時間
オーボエが上手くなりたい、もっと勉強したいという目的で参加していた合宿でしたが、演奏技術以外にも得るものはたくさんありました。夜になって大人たちがご飯のあとにお酒を飲み始める横で、高校生だった私はジュースを片手に、ずっと話に耳を傾けていました。オーボエにとって重要なのは、何と言ってもリードです。リードが変わるとその音色が変わってしまうため、より良い音色や表現を求めて、プロや音楽専門学生、意識の高いアマチュアは自作します。そのため、オーボエ奏者が話をしているといつの間にかリードの話になることがよくあるのですが、合宿でも一流奏者それぞれの作り方やこだわりを知ることが出来て、ためになりました。
ちなみにリードのこだわりは、良い状態で使えることはもちろんですが、見た目にも美しいこと。使えればいいという方もいますが、自分なりの好みですね。やっぱり私のリードをいろいろな人に見せると、みんな綺麗だと言ってくれます。
また合宿は、知見を深めるだけではなく、何と言っても日常を離れてオーボエ漬けの生活ができるということがこの上なく嬉しいことでした。東京藝大附属高校には寮などもなかったため、親元を離れて上京した私は、当時、高校一年生から1人暮らしをしていました。たまに親が来て料理をしてくれることもありましたが、基本的には自炊で、掃除も洗濯も自分でやらなければなりません。そうした雑事を離れてオーボエのことだけを考えていられる、ただただ楽しい時間でした。
私にとって合宿とは、自分より経験豊富な年長者と合宿のような場所でたくさん触れ合って、ものすごい情報収集が出来る、そして、何もかも忘れてオーボエだけに没頭しひたすら音楽だけを楽しむことができる場所です。



一つひとつが積み重なって今がある
「あく」を生かし質を高めた奏者に
現在、プロのオーボエ奏者として活動をしていますが、学生時代からいろいろなところで受けたアドバイスや学んだことの一つひとつが、今の自分の礎になっていると思います。記憶のあちこちに散らばっている出会い、会話、それらをかき集め、その中からさらに使えるものをピックアップする。その時は意味がわからないことでも、いろいろと経験を積み重ねた後になって、ああ、あのとき聞いたのはこのことだったのか、と理解できるようなこともよくあります。この作曲家のこの曲は、同じようなフレーズだけれど、こういう差がなきゃいけないのかとか、自然の材料を使っているリードは、こうやって作らないと、左右のストレスのかかり方が変わってしまうのかとか、そういう本当に細かい発見や知識が、音楽作りにつながっていると思います。
この道を進む上でずっと考えてきたことが、「質を高める」ということです。長年オーボエについて学び、研究してきましたが、尽きることがないんです。「一生勉強」とはこういうことだなと実感するくらい、やることが永久にある。やればやるほどどんどん深くなり、何かが一つ出来るようになると、また次のもっと深いことを勉強したくなる。40歳を過ぎたら衰えるかなと思っていましたが、3年前の自分よりも今の方が成長していると感じています。
今の時代は音楽もシステマチックに分析されて、無駄なく学ぶことができるようになってきています。今の若い世代の人たちは、最初から音もいいし、テクニックもすごくあって、楽譜の読み方もしっかりとしている。そういう人たちが次々と出てくる中で、自分がなぜ今もプレーヤーを続けることができているかというと、積み重ねてきた経験と、その経験から作り上げた人間としての「あく」というか、自分だけの個性ではないかと思います。
音がよくて当たり前、テクニックがあって当たり前、音楽的に演奏できて当たり前、その上で、今の自分だからこそ出せる「あく」を生かしつつ、もっともっと音楽を追求していきたいなと思っています。
