Vol.10 トランペット奏者

河原 史弥(かわはら ふみや)氏

profile
東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●洗足学園音楽大学卒業
●第87回日本音楽コンクール第3位
●第36回日本管打楽器コンクール第2位

キラキラと輝いて見えた
鼓笛隊のトランペット

僕がトランペットをやりたいと思ったのは、小学校1年生のとき、鼓笛隊の演奏を聞いたことが最初のきっかけです。僕の小学校では毎年、運動会で6年生が鼓笛隊をやるのですが、中でもトランペットをとても格好良く感じたんです。

なぜだか理由はわかりませんが、リコーダーやトロンボーンなどの他の楽器と混ざって響くトランペットの音、それを吹いて動いている先輩たちの姿が、僕にはキラキラと輝いて見えました。

そのときからトランペットをやりたいとずっと心に決めていて、5年生になって運動会の練習を始めました。しかし、すぐにトランペットに触れることができたわけではありません。まずはリコーダーを練習して、合格して初めて希望する楽器を担当できるんです。リコーダー課題曲を受け取りすぐに練習を繰り返して、やっと合格できた後は、マウスピースを使って練習して…。実際にトランペットを手に取ることができてからは、肌身離さず持って常に練習をしていましたね。

最初は「怖い」と感じた部活動の先輩

その後、吹奏楽が盛んな学校を選んで受験し、中高一貫の男子校に進学しました。部活動はもちろん吹奏楽部。中高一貫校なので、中学生も高校生も一緒に練習をしていました。

部活動体験で初めて音楽室に行き、高校3年生の先輩を見たときは、なんだか怖かったですね。中学1年生なんて、少し前まで小学校だった子どもです。対して先輩はひげも生えていて、まるでおじさん。「僕とは全く違う人間だ」と感じたことを覚えています。

部員の数は全部でだいたい70人くらいで、以前は全国大会にも出たことがある熱心な部でした。土日も練習し、休みは週に1日程度。ゴールデンウィークやお正月休みも音楽室を開けていて、僕も自主的に登校し練習をしていました。

夏の合宿で叩き込まれた後輩としての動き
先輩から怒られるのは毎年恒例

その部では、毎年7月31日から8月6日まで、部員だけではなくOBも参加して新潟県の苗場で合宿を行っていました。合宿後に一番大きな大会であるコンクールがあるので、そこに向けて徹底して練習し、曲を仕上げていくための合宿です。

一方で、まだコンクールに出られない中学1年生にとっては、一番下っ端の自分たちがどうやって先輩たちをサポートするのか、自分自身が出場できなくてもどう部に貢献するのかを叩き込まれる場でもあります。比較的上下関係の厳しい部で、部屋割りもまず最上級生である高校3年生が各部屋に一人配置されて、以下、異なる学年の部員が割り振られていきます。

同じ学年の仲良し同士が集まるのではなく、年齢の異なる部員同士が同じ部屋で寝泊まりするんです。気が利かない、動きが悪い、だらだらしているなどの理由で、後輩が先輩やOBから大目玉をくらうというのが毎年恒例になっていました。

自分も最初は「こんなに長い時間親と離れて生活するなんて!」と浮かれていましたが、合宿が終わるころには、食事のときでも先輩が一杯目のご飯を食べ終わったらすぐにおかわりを準備できるように、周囲の食べ具合に常に目を光らせるようになっていました(笑)。

合宿で得た「足並みをそろえる」経験

合宿って、ある意味特殊な時間ですよね。朝集合してラジオ体操をして、ウォーキングに行って、朝食を食べたら朝8時から練習が始まります。

午前中はパートで練習したり、楽器ごとに練習したりして、さらにパートリーダーで毎食後集まって、どういう練習をしようかミーティングして自分たちで考え、午後にみんなで合わせることもあります。コンクールに出ない生徒も与えられた課題をこなしながら、先輩が演奏に集中できるよう後輩なりに必死でお手伝いをします。

6泊7日という長い時間、まだまだ子どもの中学1年生から大人の男性のような高校3年生まで一緒に生活し、朝から晩まで音楽漬けになります。コンクールに出る生徒も出ない生徒も、目の前の大事な大会に向けて目の色がだんだんと変わり、技術も経験値も異なる生徒たちが一緒になって一つのものを仕上げていくんです。

今改めて振り返ると、自分にとってあの時の合宿は、音楽をやる上で必要な「足並みをそろえる」ことを体で覚えることができた、重要な経験だったと感じています。

音大への進学プロを目指す。

僕はもともと、「絶対にプロになる」と決めていたわけではないんです。たまたま中高が一緒で音大に進んだ先輩がいて、その先輩にいろいろな音楽大学やプロのオーケストラの演奏会に連れて行ってもらったんです。

それをきっかけに、音大への進学を検討し、実際に進学した後はプロを目指すという選択肢も考え始めるようになりました。どうやったらプロになれるのか、プロの音楽家はどういう生活をしているのか、本を読むなどしてよく調べていましたね。

やっぱりプロの世界に対する憧れもありましたし、もっともっとトランペットのことを勉強したいという気持ちもある。大学では音楽漬けの日々を送り、4年生のときはいろいろなオーディションをたくさん受けました。もしダメでもフリーランスの道もあるし、実家は鰻屋なので、そこを継いで生きていくこともできるし、と考えていましたね(笑)。

最終的には佼成ウインドに受かることが出来て、今に至ります。

年齢も国籍も異なる人たちと
「音で会話ができた」と感じる瞬間に感じる喜び

現在、僕は東京佼成ウインドオーケストラとは別に、もう一つ兵庫のオーケストラにも所属しています。

そこは世界各国から楽団員が集まるオーケストラで、自分よりも経験の浅い人、年齢の全く違う若い人、言葉も通じない外国の人など、いろいろな楽団員がいます。当たり前ですが、最初は全く音が合いません。絶対的にスタイルが違うので、合うわけがないんですね。

それでもやっていくと、「音で会話ができた」と感じる時があります。自分がバン!といったときに、横のライン、縦のラインが一緒になり、今、一緒に音楽ができていると感じられるんです。それは音にも出るし、きっと聞いている方にも伝わっている。音楽をやっていてやりがいを感じる、すごく楽しい瞬間ですね。

プロとして演奏するときも、いつも良く知る同じ仲間とばかり演奏をするわけではありません。いつものメンバーが欠けることもあるし、ゲストの方をお呼びすることもあります。年齢も下は20代から上は60代、音楽の個性もさまざまです。その中で演奏を作っていくときに、音はもちろんですけど、会話をしたり、一緒に食事をしたり、足並みをそろえることが大事だなと感じます。

僕にその大切さを教えてくれたのは、学生時代に毎年参加した、あの夏の合宿ではないかなと思っています。

僕は、中高時代から変わらず楽器を吹くこと、音楽が大好きです。技術の維持や向上のための努力はもちろんですが、どんな状況でもその熱量を落とすことなく、今後も吹き続けたいと思っています。

音楽への熱い想い

スマートな佇まいと涼しげな雰囲気に秘められた、音楽への熱い想い。

世界の演奏者が集う環境に飛び込んで新たな刺激を受け、自身の音楽がより広がっていることを感じているのだろう、インタビューに答えるその目は生き生きと輝き、厳しい環境でさえも楽しんでいるように見えました。

そのたくましさの根底には、部活動、合宿で培った土台があるはず。トランペット奏者としての、今後のさらなる活躍が期待されます。