Vol.24 ユーフォニアム奏者
岩黒 綾乃(いわくろ あやの)氏
profile
●東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●パリ国立高等音楽院卒
●第18回日本管打楽器コンクール1位入賞
●The 4th International Jeju Brass Competition 2位受賞

周囲に引っ張られ
気が付いたらユーフォニアムの担当に
私がユーフォニアムを始めたのは、小学生のとき。友人に誘われて学校の金管バンドのクラブに入り、いろいろな楽器を試した上で先生に決めていただいた楽器がユーフォニアムでした。当時はユーフォニアムについてほとんどわかっておらず、「あなたはこれ」と言われ、そうかと思って淡々と受け入れた、という感じです。その頃のことはあまりはっきりと覚えてはいないのですが、何とか音を出して、みんなと一緒に吹いていた記憶があります。
中学に進学し、最初は運動部に入ろうと思い、バドミントン部に見学に行きました。しかし地元の公立学校で、小学校の同級生たちがほとんどそのまま同じ中学に進学していたため、「小学校のときに金管バンドに入っていた生徒は吹奏楽部へ」という流れがなんとなくありました。結局周囲に引っ張られ、運動部ではなく吹奏楽部に入部することになっていました。楽器も、フルートなど他の楽器を吹いてみたいなと思っていたのですが、「ユーフォニアムをやっていたよね」と言われ、気がついたらまたユーフォニアムの担当になっていて。
子どものころは、「絶対にユーフォニアムを吹きたい!」という気持ちは特になく、周りに流されながら始めたような気がしますが、それでも、みんなと一緒に演奏することが嫌ではありませんでした。小学校のクラブでは、なんとなく活動していて、中学生で、楽器の音や音色が好きになり、上達したいとのめり込むようになり、音楽の道に惹かれていったのだと思います。

大変だった1年生のときの合宿
厳しい規律に煩わしさも感じていた
中学卒業後の進路を考え始めたころ、楽器をもっと専門的に勉強したいと思うようになりました。具体的にプロに、とまでは決めていなかったと思いますが、その時点ですでに音楽をずっと続けたい、なんらかの形で関わって生きていきたいと感じていたと思います。音楽科のある高校に見学に行ったり、オープンキャンパスに参加したりしていたのですが、進路を考えるにあたってとあるご縁があり、いろいろとお世話をしてくださった高校の先生の学校に進むことになりました。
その学校は商業高校だったので、学校の授業として特に音楽や楽器の勉強をすることはなかったのですが、吹奏楽部は盛んに活動をしていました。ひと学年30人近くいるような人数も多い部で、練習も熱心にやっていたことを覚えています。
高校の吹奏楽部では、合宿にも行きました。正直に言うと、私にとって合宿はあまり良い思い出ではありません。
上下関係や規律が厳しい部で、普段の挨拶の仕方や言葉遣いなどもきっちりと決められていました。学校外の駅などで会ったときにもそのルールに従う必要があり、出来ていないとミーティングなどで注意をされることもありました。
そのため、特に1年生の時の合宿は本当に大変でした。学校に寝泊まりできる施設があり、部員みんなでそこに行って宿泊をしたのですが、1年生は練習の準備をしたり、ご飯を作ったり、先輩たちのいわゆる「お世話」をしなければなりません。当時はそういう時代だったのだと思います。
将来音楽の道に進みたいと考えていた私は、自分の練習時間を確保することが大事でした。そのため、部としてのしきたりや規律を守るためのミーティングなどは、自分にとって重要なことではなく、煩わしいとさえ感じていました。
とはいえ、部の人間関係などが嫌だったわけではありません。部活の人たちは皆さん本当にいい仲間でした。もしかしたら、自分の気持ちにもっとゆとりがあればまた違って、部の運営に積極的に参加したり、もっと活動を楽しんだりできたのかもしれません。でも当時の私は、部活動と自分の進路の準備の両立にとても苦労していました。それでも、やはりみんなと演奏することは好きだったんでしょうね、3年生のときは受験準備のために活動をセーブするなど配慮いただきながら、なんとか最後まで続けて卒業しました。

フランスで勉強したい…
自分の中で何かが動いた
プロになろうと決めたのはいつだったか、いろいろなきっかけが自分の中ではその都度あるのですが、まずはちゃんと学びたい、もっと勉強したいという気持ちがスタートだったと思います。大学に進学して勉強を始めてからも、演奏面での技術、音楽に対する知識、全てが足りない、自分はもっと学ぶ必要があると感じていました。
勉強のために留学したいという気持ちもありましたが、具体的なことを自分でなかなか決められず、卒業後はフリーランスとしてアルバイトなどをしながら、なんとか演奏のお仕事を続けていました。
転機となったのは、フランスで開催されたコンクールに参加したことです。コンクール自体はうまくいかなくて苦い想いをしたのですが、そこで出会った人たちや聴いた演奏に感銘を受けたんです。自分もフランスで音楽を勉強したい、そう強く感じました。
今にして思うと無謀ですよね。フランス語もできない、お金もない。でも、ここで音楽を学ぶことができたら、自分が変われるのではないか、そんな気がしました。自分の中で何かが動いたのだと思います。
フランスでの学び・学生時代の合宿
積み重ねた経験の上に今がある
コンクールのためにフランスに行ったのが9月で、それからパリの学校の入試の準備を始めました。試験があるのは2月。時間は半年ほどしかありません。しかも、その学校は年齢制限があり、年齢的に私が受験できるのはその1回だけでした。残されたチャンスはたった1回です。でもまだ1回残っている、1回だけでも挑戦することができる、そう自分を奮い立たせて挑みました。
合格の知らせを受けたときは、本当に嬉しかったです。よく考えたら、入学までの準備が山積していて喜んでいる場合ではなかったのですが、なんとかいろいろと工面して支援していただきフランスに行くことができました。
フランスで音楽を勉強して、たくさんの学びを得ることができました。楽器の技術はもちろんですが、それ以外にも豊かな文化を肌で感じ、美しい景色を目に焼き付け、その後の音楽人生の糧となるたくさんのものに触れ合うことができたと思います。向こうで出会った素晴らしい先生や仲間とは、彼らが日本に来て指導する際に会ったり一緒に演奏する機会があったり、帰国後もお付き合いが続いています。
また、自分自身にも変化がありました。もともと私はどちらかというと寡黙で、人と話すことやコミュニケーションを取ることがあまり得意ではありませんでした。それが向こうに行ってからは、人とたくさん交流し、よく喋るようになりました。フランスでは自分から積極的に話して意思表示をする必要があったので、自然と成長できたのかなと思います。フランスに行っていなかったら、今の自分はなかったかもしれません。
当時は嫌だと思っていた合宿も、今にして思うと無駄ではなかったと感じています。あの時のこの経験がこれに役立っている、とはっきりとしたつながりはうまく説明ができないのですが、これまで積み重ねてきたたくさんの経験があってこその今の自分です。高校生のころは自分を客観的に見ることができず、大変だ、という気持ちばかりが強かったのですが、置かれた状況で時間をやりくりしたり、一つの演奏にもたくさんの準備が必要だと理解したり、あの時を過ごしたことで、大事なことが身についたと思います。


チャレンジしたいという気持ちが
道を切り開く原動力に
改めて考えると不思議ですが、ユーフォニアムを始めたきっかけも、部活に入ったのも、何となく人から言われて…という感じが強かったのですが、自分から強く行きたいと思い、無理を承知でチャレンジするくらいに変わっていきました。人生にはそうしたタイミング、自分が大きく変わるための「今だ」という瞬間があるのかもしれないですね。
若い方たちに伝えたいのは、もしそういうタイミングに出会うことがあったら、思い切って飛び込んでみて欲しい、ということです。大きなことでなくてもかまいません。ちょっと気になること、自分が興味を持ったことがあったら、自分から動いてみる。そうしたら、それが変化につながり、何かのきっかけになるかもしれません。やってみたい、チャレンジしてみたいという気持ちが、音楽を続ける道を切り開いていく原動力になるのだと思います。

