Vol.2 テナーサクソフォーン奏者

松井 宏幸(まつい ひろゆき)氏

profile
東京佼成ウインドオーケストラ楽団員・カルテットスピリタス所属
●東京藝術大学・洗足学園音楽大学・大宮光陵高校サクソフォーン講師/ビュッフェクランポンジャパン専属講師
●埼玉栄高校・東京藝術大学卒業/須川展也門下生
X(旧Twitter)
松井さまのすばらしい演奏がお楽しみいただけます
ご家族が作詞作曲演奏された「どんぐりさん」は思わずにっこり!

そこに楽器があったから

松井 宏幸(まつい ひろゆき)氏

残っていたアルトサクソフォーンを吹く

中学の文化祭で吹奏楽部が演奏した米米CLUBの「浪漫飛行」を聴いて、かっこいい!と思ったのが、吹奏楽をはじめるきっかけです。

相談にいくと、顧問の先生から「きみはアルトサックスを吹きなさい。楽器があまっているから」と言われて…

譜面は読めなかったけれど、小学校のころからリコーダーが得意で、演奏するのが好きでした。

「こんな音が出せるのか!」
かっこよさに感動して入部を決意

その後、引っ越しをして転校。新しい中学は吹奏楽の部活が盛んではなかったため、サクソフォーンの練習はもっぱら家で続けていました。

高校受験を目前にした中学3年生の1月、吹奏楽の強豪校、埼玉栄高校の定期演奏会を聴いて「高校生で、こんな音が出せるのか」と驚き、感動しました。

「この学校で吹奏楽をやりたい」と決め、吹奏楽部に入るために志望校を変えて入学しました。全国大会で金賞をとる学校だけに、練習はお正月とお盆以外1年360日間ありました。

チーム全員が完食するまで
もくもくと食べ続けた

部活の音楽合宿は、高校時代に6回参加しています。
コンクールや定期演奏会のための強化合宿で夏休みと冬休みに3泊4日ぐらいの日程だったと思います。

はじめて音楽合宿に参加したのは、高校1年生の夏休みの合宿で、よく覚えています。
朝起きてまず練習。昼食をはさんで練習。さらに夕食後も練習。
覚悟はしていましたが、食事と睡眠時間以外はほとんどすべて練習という合宿生活に慣れるまでが大変でした。

当時の合宿では、生活面でもさまざまな独自ルールがありました。その1つが「食事時間は黙って食べる。チーム全員が完食するまで席を立たない」というもの。
食事をもてあます女子の先輩がいると、自分のところにまわってくるので閉口しましたね。

やがて「眠りながら吹ける」高みに

150名の大所帯は、2つのチームに分かれて練習していました。
Aチームはコンクールに出場するレギュラーチーム、Bチームは1年生2年生を中心にコンクールの他部門を目標に練習するチームです。

2年生になると、それぞれのメンバーの持ち味を生かして、○○さんは、チーム全体を引っ張る将来の部長候補だから○○係、○○君は、スケジュールを組むのが得意だからマネジメントを担当してほしいなど、吹奏楽部での役割分担が決まります。

自分は音楽リーダーや、学生指揮者を担当しました。

2年生になると、合宿での長時間の練習にも慣れて、夜遅くなる時には、眠気防止のために目のまわりにタイガーバームを塗ったり、隣の人にパンチしてもらったり‥(笑)

こうして練習を積み重ねるうちに、やがて眠りながらでも吹けるようになります。
このレベルまで練習すると、コンクールの舞台でも緊張せずに、平常心で演奏できますね。

吹奏楽部には、経験者もいましたが、まったくの初心者もたくさんいました。
「コンクールで金賞をとる」ことを全員共通の目標として掲げる一方で、経験の差にかかわらず全員がコツコツと練習しながら、みんなで音楽を作ろうという方針で練習に取り組んでいました。

「ダフニスとクロエ」
響きあう音色で金賞

高校3年生になると、いよいよAチーム・レギュラーメンバーに。

全国大会に出て金賞を取れる学年になりたいと、同期のみんなが同じ気持ちでがんばりました。

Aチームになって『誰よりも上手に吹く』ために、とにかく練習に明け暮れる合宿でした。

どんなに難しい曲でも、時間をかけて、少しずつ練習を積み重ねればできるようになるし、おたがいに音を合わせる練習を重ねました。
音色やピッチ、表情のつけ方によって、音色はちがってきます。和音一つにしても、みんなで合わせようとすると、響きかたが変わります。

こうして、M.ラヴェル/バレエ音楽《ダフニスとクロエ》を自由曲として演奏、金賞を手にすることができました。

吹奏楽のための練習から
受験のための練習へ

コンクールが終わり、自分の進路を考える余裕が生まれて「音楽大学に進学したい」と指導の先生に相談しました。高校3年生の11月のことでした。

「音大に行く人は、みんな2歳3歳から勉強しているんだよ!」と叱られましたが、それでも音大に進みたいと考え、今度は受験のための練習に切り替えて集中しました。

みんなで合わせる練習から、楽器の演奏技術に加え音楽の知識を蓄えていくことにシフトしましたが、受験準備をはじめて1カ月ほどたった時に「あと1年頑張れば、芸大を狙えるかもしれない」と先生にいわれて、その後1年間、浪人して音大受験のための勉強に取り組みました。

音楽合宿で鍛えられてきたおかげで、1日8時間でも9時間でも集中して練習することができて、翌年、東京藝術大学に入学しました。

合宿で培った「練習する才能」は一生の宝

今、ふりかえってみても、中高生時代の音楽合宿は、懐かしいし、貴重な経験でした。
高校時代をともにした仲間と会うと、いまだに話題になるのが合宿の思い出です。
大変だったけれど、楽しかったし、何よりも長時間の練習に集中できるのは、音楽家人生にも大いに役立っています。

1年360日練習した日々が自分の音楽人生の根っこになっています。
アスリートが体幹を鍛えるように、練習を重ねることによって、演奏者としての基礎体力を作っている感じでしょうか。

「練習する才能」と「続ける」

Q. 吹奏楽のプロ奏者になるために大切なことはなんでしょうか?

練習する才能
「疲れたし、今日は練習やめておこうかな‥」
という時に、楽器ケースを開けて1時間だけ練習できる人。
これが大切です。プロになるために必要な才能です。

今日1回練習すれば、明日は2回目の練習になる。その積み重ねです。

続ける
あきらめずに継続することも大切です。
継続しているうちに、やがてチャンスが向こうからやってきます。

よく、音楽センスが大切では?と聞かれるのですが、センスはあとから磨くもの。
まずは、続けることです。

みんなへのメッセージ

練習する才能と、続ける意志があれば、あとはもう、頑張りすぎないことです。
好きではじめた吹奏楽も、がんばりすぎてしまうと行き詰まってしまいます。

頑張りすぎないこと、大切ですよ。