Vol.8 コントラバス奏者

前田 芳彰(まえだ よしあき)氏

profile
東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●桐朋学園ディプロマコース中退
●もっと音楽が好きになる「上達の基本 コントラバス」(音楽之友社)
●コントラバスの個人指導 前田芳彰コントラバス教室

7月・8月の「音楽と合宿とわたし」は、夏休み拡大版として、音楽人生における旅について視点を広げたお話をお届けします

「キミは、今日からこれね!」
先輩から手渡された、新品のコントラバス

子ども時代は、沖縄の金武町(きんちょう)で暮らしていました。
沖縄が日本に返還されたのは私が小学生のころで、中古の米軍のラジオを取り扱う店もあり、小遣いで手に入れたラジオを修理して聴いていました。
外国語の放送を傍受できることもあり、意味はわからないのですが、なんとなくスパイのような気持ちになれましたね。

はじめてコントラバスを手にしたのは、中学2年生のときでした。
当時の校長先生の方針で、全校生徒が部活に参加することになり、友だちのいた吹奏楽部に入部したものの、管楽器はことごとく音が出せずにいました。

そんな折に、吹奏楽部のために学校がコントラバスを購入してくれたのです。
誰も演奏経験がないので「ハイ、キミはこれね」と先輩から有無を言わさず手渡されたのです。

顧問の先生が購入してくれた教則本を頼りに、手探りで練習しました。
最初のころは、楽器の構え方、弓の使い方もわからず、ドラえもんのようにぎゅっと握りしめた手で必死に楽器を弾こうとしていましたね(笑)。

ザ・昭和スタイルの校内での音楽合宿

中学校の吹奏楽部では、毎年夏休みに校内で合宿をするのが恒例になっていました。今から約45年前の昭和時代のことですから記憶もあいまいですが、2泊3日くらいの日程でコンクール前の強化合宿をしていました。

通い慣れた学校でも、授業の代わりに朝から晩まで練習できて、みんなで泊まるという非日常的な経験は楽しかったですね。
中学生の私にとって音楽合宿は「友だちと一緒に暮らしてたくさん話す」チャンスでした。いろいろな話をしましたが、ごめんなさい、紹介できない話がほとんどでした(笑)。

練習は、昭和時代ならではのスパルタ方式でした。中学校のOBが指揮をするのですが、できないところがあると問答無用で「グラウンド一周して来い」と言われて、焼けるようなグラウンドを走らされました。

アルバイトをして武蔵野音楽大学の講習会へ

コントラバスの基礎を学んだ7日間の音楽合宿

高校時代も吹奏楽部に入りました。高校の吹奏楽部は私が入学した年にはメンバー全員で15名、2年生になった時でも20名前後でした。
そのため、小規模編成の吹奏楽部を対象としたコンクールに参加したような記憶があります。コンクール前に、確か2泊3日の校内合宿に参加しました。

中学校と同じで、日中の練習ももちろん楽しいですが、練習が終わり部屋に戻ってからみんなで集まりいろいろな話をするのが楽しみでしたね。
こじんまりとしたチームだったので、練習が終わってもなんとなく集まってきて、音楽の話、進路のこと、などいろいろ語り合いました。

高校生になると、アマチュアのオーケストラの練習にも参加するようになりました。たまたまエキストラとして参加してくださった方が武蔵野音楽大学出身で「コントラバスを学ぶなら、武蔵野音大に檜山先生というすばらしい先生がいるよ」と教えてくれました。

それまでコントラバスについて先生に就いて学ぶ機会がなかったので、なんとかして檜山先生のレッスンを受けたいと思いました。

両親は講習会への参加も、音楽の道に進むことにも反対で、経済的な支援は期待できなかったので、1年間コツコツとアルバイトをして、不足分は祖父に援助してもらい、高校2年生の夏休みに、東京の武蔵野音楽大学で開かれる約1週間にわたる夏の講習会に参加することになりました。

講習会の朝は、早朝にバスで2時間かけて那覇空港に向かい、割安価格で利用できるスカイメイトで席を確保するために並びました。希望者が多ければ飛行場で何時間も待つことになります。自宅から講習会の会場に到着するまでが大変な道のりでした。

指導してくださった檜山薫先生は、当時日本を代表するコントラバス教師であり、教育者でした。先生には基礎からていねいに教えていただきましたが、先生の一挙一動が学びになりました。武蔵野音楽大学の学生寮のような場所に寝泊まりして、夢中になって吸収した1週間でした。
講習会では、同じコントラバスを志す仲間が2人参加していました。
3人で集まっては「音楽大学に入学するにはどんな勉強が必要か」「これからどんなジャンルの音楽を演奏してみたいか」「コントラバス奏者はどんな進路選択があるか」などさまざまなことを話しました。
ちなみに、この講習会で出会った3人のうち1人は音楽の教師として、もう1人は自衛隊の吹奏楽メンバーとして、それぞれ現在も音楽活動をしています。

「同じ目標に向かう仲間と、生活をともにする中で音楽をつくる」ことを音楽合宿と定義するならば、武蔵野音楽大学での講習会の参加は、私にとって自分の意志で参加した初めての音楽合宿であり、音楽と向き合うはじめての旅でした。

響きがどんどんよくなる
音楽づくりのプロセスを実感した
桐朋音大ディプロマコースの音楽合宿

高校を卒業すると、上京してアルバイトをしながら、檜山先生のレッスンを受けました。
その後、桐朋学園大学のディプロマ・コースに入学。オーケストラを学ぶための音楽合宿が八ヶ岳高原にある学校の合宿施設で行われました。

新幹線のない時代で、合宿所には電車とバスを乗り継いで向かうのですが、みんな緊張して言葉も少なかったような記憶があります。
ふだんは個別に楽器を学んでいる生徒が集まり、限られた合宿期間中に課題曲を仕上げていきます。

プロを目指すメンバーが参加するため、練習で要求される内容も厳しいものでした。
問題のある部分は、担当する楽器パートで抜き出して練習し、それでもうまく演奏できなければプルート単位(※ 弦楽合奏に於いて楽器2台を1つとして数える単位)で演奏、さらには1人1人抜き出して練習します。それでもできなければ「外に行ってさらってこい」と容赦のない声が飛ぶこともありました。

合奏練習は、このように緊張感溢れるものでしたが、練習を重ねるに従い、どんどんオケの出す音がよくなっていくのが、演奏しながらでもよくわかりました。オーケストラメンバーの気持ちが集中して、オーケストラがうまくなるプロセスが面白かったです。

こうして働きながらディプロマコースで学ぶうちに、東京フィルハーモニー交響楽団のオーディションに合格することができました。

ウィーン国立歌劇場で聴いたコントラバスの音色に突き動かされた

東京フィルハーモニー交響楽団時代は、国内外各地での演奏旅行を経験しました。当時はスケジュールの3割は旅に出ていましたね。忙しいけれど充実した日々でした。
欧米へのツアーも2回経験できました。
音楽人生のなかで印象に残っている場所は2つあります。

まずは、エルサレムの墳墓教会です。荘厳な空間に身を置くことにより、キリストの存在を実感しました。宗教曲の演奏の際には、今もこの時の感慨がよみがえります。

そしてウィーンです。
欧米ツアーでウィーンに立ち寄った時のこと。
オフの日に、ウィーン国立歌劇場で上演中だった、ベートーベンのオペラ「フィデリオ」を聴きに行ったのですが、冒頭のコントラバスの音色に「まさに自分が目指していた音楽だ」と心を突き動かされたのです。

1年間のウィーン留学
「譜面を読み解き表現する」を深掘りする日々

帰国後、さっそくウィーンフィルハーモニー管弦楽団の首席コントラバス奏者アロイス・ポッシュ氏に、師事したいことをドイツ語でしたためた手紙を郵送しました。
幸いなことに、先生からご快諾のご連絡をいただき、職場には休職願いを出して、ウィーンに旅立ちました。

演奏者は、譜面の中から作曲者が譜面に込めた思いを読みといて、それを演奏で表現していきます。
もちろんこれまでも、そのアプローチで自分なりにやってきたのですが、ポッシュ先生の譜面の理解は限りなく奥深いものでした。

「譜面を読み解く力とそれを演奏して伝える力」を徹底的に鍛え直したのが約1年にわたるウィーンでの留学生活でした。

レッスンで先生の前で演奏すると、椅子に座って譜面を読んでいる先生からアドバイスがあります。
「このフレーズに対する和声はこうなっているでしょう。だったら、こういうアプローチで演奏する方ががいいのではないか?そしてこの部分は、また別の色でしょう?」

ポッシュ先生の中に西欧音楽の伝統が息づいて、それが音楽という形で現れていると感じ、貪欲に学びとる1年間でした。

旅とともにある音楽家人生

はじめてコントラバスを手にした時から、45年。

高校時代の音楽合宿から始まり、東京での講習会、八ヶ岳高原での合宿、国内や世界各地での演奏旅行、そしてウィーンへの留学など、私の音楽家人生は「旅」という言葉で繋がっています。

私に言わせれば、音楽合宿はその後の人生をより豊かにするきっかけになる旅だと思います。

みんなへのメッセージ

顧問の先生方へ

今の時代、指導者としてどこまで生徒たちの心に踏み込んでいいのか、あいまいで、線引きが難しいところがあるとは思います。

けれども、まずは合宿で生徒たちと一緒に過ごす中で、浮き上がってくる生徒1人ひとりのキャラクター、たとえば「この子は何が好きか」「花火をしている時には、こんなスタンスなんだ」といったことを心に留めて、指導のなかに活かしていただければと思います。

何よりもまず、子どもたちと一緒に合宿の時間をともに過ごすことが大事だと思います。

中高生のみなさんへ

合奏を通して、人を知ろう

音楽合宿で大切にしたいのは「合奏を通して、人を知ろう」ということです。
合奏というのは、楽器が集まるのではなくて、人が集まって奏でるもの。
人と人との関係づくりが大切です。

ふだんの部活では入りこめない「仲間を知る絶好の機会」として、合奏を通して人と人とのコミュニケーションをはかっていきましょう。

「時間・生活を共にして音楽をつくる」貴重な体験

「この人はどういう感性をしているのか」
「どういう考え方をするのか」
合奏をする仲間のこと、知りたいじゃないですか。

音楽合宿で寝食を共にすると
「ごはん食べるの、ゆっくりだな」
「あれ、布団からはみ出して寝転がっているぞ」
「ちょっとせっかち?」
「几帳面な歯の磨き方‥」
という仲間の日常がわかります。
お互いに、ふだんの暮らしを知ることによって
「あ、こういうものの捉え方をするから、こういう音楽をつくるんだ!」という気づきや発見につながります。

これが音楽合宿ならではの貴重な体験だと思います。

人と人の関係を深めることで、つくる音楽も深くなる

音楽合宿で、仲間ともに暮らし、笑い、戦い、音楽を作るのはとても楽しい経験です。
音楽合宿に参加したら、合奏や演奏技術を学ぶことも、もちろん大事です。
でもそれ以上にぜひ「人を知る努力」をしてみてください。

会場の聴衆の反応というのは、演奏者に直に伝わって来ます。演奏する人と聴く人が音楽を通して響きあう関係をつくるためにも、まずは仲間との良い関係づくりを大切にしましょう。