Vol.7 B♭クラリネット奏者

林 裕子はやし ゆうこ

profile
東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●国立音楽大学卒業
●桐朋学園大学非常勤講師
●聖徳大学兼任講師
●Bavardage 、HANAKIN FIVEメンバー
クラリネット奏者林裕子オフィシャルサイト

バレエのレッスンの美しいメロディーを
ピアノで再現して楽しんだ思い出

ものごころついたころから、暮らしの中で音楽を楽しんでいました。
5歳のころからピアノのお稽古をはじめましたが、お教室で習う曲以外に、祖母の家のピアノを弾きながら幼稚園の先生をお手本に歌を歌ってみたり、幼稚園の発表会でアコーデオンを弾いたり…

そのころバレエも習っていたのですが、レッスンのときの音楽がとてもすてきで、大好きでした。家に帰ると、レッスンで耳にした美しいフレーズの音を1つずつ拾ってピアノで再現して楽しんでいました。

背後から流れる心地よい響き…
クラリネットを選ぶ

中学生になると部活動が始まります。
どこに入部しようか、と考えている時に
「吹奏楽部、いいんじゃない?」
と母に言われたのがきっかけで、中学生になると、吹奏楽部に入部しました。

最初の1カ月は仮入部で、ひたすらリコーダーで音楽の教科書の曲を吹きました。
私の背後では、お目付け役の先輩が練習していましたが、その先輩がクラリネットを練習していたのです。

「クラリネットの音色っていいな‥。自分も吹いてみたいな」と思うようになり、正式入部の際にクラリネットを希望。
これが私とB♭クラリネットとの出会いでした。

入部した吹奏楽部は、県大会を突破して四国大会に進出することを目標にして、みんなで楽しく演奏することを大切にしていました。
3学年合わせると70名以上の部員がいたような記憶があります。

1年生の時には打楽器運搬係としてがんばり、2年生、3年生ではB♭クラリネット担当でコンクールのステージにあがりました。
たしか、四国大会で銅賞だったような記憶があります。
練習は楽しく、夢中になってクラリネットに取り組みました。

東京佼成ウインドオーケストラ中学校に来た!

中学校2年生のある日、顧問の先生から「日本で一番上手な吹奏楽団が高松に来るので、希望者は一緒に聞きに行こう」とお話がありました。

公演日を心待ちにしてましたが、なんと、コンサートの直前に私たちの学校に東京佼成ウインドオーケストラ(以下TKWO)が来て、目の前で演奏してくれたのです。

コンクールの課題曲「そよ風のマーチ」(松尾善雄作曲)、「トッカータとフーガニ短調」(J.S. バッハ)などなじみのある曲ばかりですが、すばらしい演奏でした。息を呑み、耳を澄ませて聞き惚れました。
鳥肌のたつような演奏でした。

フレデリック・フェネルさん率いるTKWOが、学校まで足を運んで演奏してもらえるとは、想像もしなかったので、ほんとうに嬉しいサプライズでした。
高松公演で演奏した「ローマ三部作」(O.レスピーギ)も感動しました。

私にとって、人生の進路を決定づける、宝石のような音楽経験でした。

音楽の道で、生きていく

このような経験もあり、しだいに音楽の道に進みたいという思いが強くなりました。
「音楽の道に進めたら…」から、やがて「この道で生きていく」という強い気持ちが生まれてきました。特に根拠は無かったのですが(笑)…。

中学校の道を挟んだ向かい側は、音楽科のある高校でした。
毎日、高校の教室から聞こえる音楽に耳を傾けながら登下校していましたが、音楽の道に進む第一歩として、まずはこの高校の音楽科に進みたいと考えるようになりました。

中学校3年生のころには両親に「音楽科を受験したい」と相談しました。

最初は、両親、なかでも父親が音楽科への進学に難色を示しました。
父は今も昔も、頭ごなしに娘の考えに反対する人ではありませんが、
その時は、
「将来、音楽の道に進むこと、音楽大学に進むことには反対しないけれど、高校の段階で音楽科に進むと、将来の選択肢を狭めてしまうよ。高校は普通科に入学して、大学受験に必要な勉強をしながら音楽を学んだ方がいいのでは?」という考えでした。

思わず涙があふれました。
そんな私の姿を見て「そんなに音楽科に進みたいのか‥」と父が驚いたことも、懐かしい思い出です。

最終的には父が折れて、音楽科に進学。
今では、高松での演奏会には必ず両親が応援に駆けつけてくれます。

3年間毎日続けた基本練習が、自分の「礎」に

高校の音楽科は1クラス40名編成で、私が入学した年は11名が管楽器専攻でした。
授業では楽器演奏についての個人指導の時間や、ソルフェージュ・和声などの音楽大学受験に必要な内容がカリキュラムに組み込まれていました。

音楽科の生徒は全員が吹奏楽部に入部する決まりになっていました。
吹奏楽部は全国大会への出場経験が多い強豪校で、私も高校2年生の時に普門館のステージを踏んでいます。

吹奏楽部の顧問のI先生は、クラリネットの指導も担当してくださるかたでした。
基礎をとても大切にする先生で、これまで自己流だった奏法についても、最初から学びなおすことができました。

個人レッスンの際にI先生から教則本の付録をいただき、毎日必ず課題として練習するように言われて、実際、3年間毎日欠かさず練習を積み重ねました。
この反復練習の積み重ねが、現在の自分の「礎(いしずえ)」になっていると思います。

私がクラリネットを教える時にも、生徒たちに、必ずその楽譜を使った反復練習を毎日することを薦めています。

暑さのなかでがんばった
3泊4日の音楽合宿

高校では、毎年8月に、定期演奏会とコンクールの直前集中練習をするために、朝8時から夜9時ごろまで3泊4日で校内で音楽合宿をするのが恒例でした。

教室の床に新聞紙を敷き、レンタルのふとんで休むのですが、エアコンも扇風機もない夏休みの合宿は、暑さとの戦いでもありました。

実は、高校時代の校内合宿に私は宿泊をしないで参加しました。アトピーの影響で汗をかくと症状が悪化する体質であることを心配して、自宅から合宿に参加するようにと先生の方から声をかけてくださったのです。

もし、私が高校生の時にエアコンの効いた快適な合宿施設で、みんなと同じように寝食をともにする合宿ができたら、先輩や後輩や仲間どうし、きっといろいろな発見があっただろうなぁ、と思います。
振り返ってみると音楽合宿は音楽を通して仲間と深く関われる絶好のチャンスです。音楽に集中できる、いい環境のなかで経験できればと思います。

最近は、指導する立場で中高生の音楽合宿に参加する機会が増えています。合宿中に一緒に過ごす時間が増えて、食事を共にしたり、移動時間に雑談をしたりすると、日頃の練習ではわからなかった、1人1人の生徒さんの個性や持ち味を発見することができて、これが実に興味深く、指導の際にも役にたちます。

私自身の音楽合宿は、暑さに耐えながらの練習でしたので、もし、自分が音楽合宿を企画する立場になったら、まずは演奏環境を重視して、長時間練習しても汗をかかない快適な環境で提案したいですね(笑)。

音楽合宿で
あこがれの先輩と一緒に演奏

高校時代の音楽合宿で、強く印象にのこっているのが、現役・OB合同演奏の練習です。
全国各地のOBが、定期演奏会の「現役・OB合同演奏」のために音楽合宿に参加して、私たちと一緒に練習してくれるのです。

「あこがれのクラリネット奏者の隣で一緒に演奏できる!」
「あの先輩と同じ空気を吸って同じステージに立てる!」
まさに、夢のようなひと時でした。

高校3年生の音楽合宿で隣に座ってくださったのが、東京佼成ウインドオーケストラ(TKWO)の大浦綾子さんです。
当時の大浦さんは留学先のパリから帰国されて間もないころでした。
大浦さんのお隣で、ドキドキ緊張しながら、バレエ組曲「白鳥の湖」の Tutti クラリネットパートの難しいパッセージを一生懸命演奏しました。

私にとって、大浦さんは憧れのロールモデル。
当時香川県ではクラリネットのプロ奏者が珍しく、一緒に演奏できた音楽合宿のこの時間は、何物にも代えがたい貴重な時間でした。

将来、まさか自分が大浦さんと一緒にTKWOでクラリネット奏者として活動できるなんて、夢にも考えていませんでしたね(笑)。

顧問の先生の指揮で
現在も続くクラリネットアンサンブル

顧問のI先生はひとりひとりの生徒の状況をよく見極めてくださる方でした。
全国大会のコンクールの曲と定期演奏会の直前練習で、音楽合宿の練習内容は厳しいものでしたが、I先生のおかげで、みんながんばりました。

高校2年生の時には憧れの普門館のステージを踏むことができて、その後、国立音楽大学に進学しました。

高校を卒業後も顧問のI先生を慕うメンバーが多く、先生のお名前にちなんでアンサンブル・ピエール・リヴィエールというクラリネット属のアンサンブルを作り、現在も毎年演奏会を開いています。
私もメンバーの一員として、スケジュールの調整ができる年には高松に帰って参加しています。

初めての「旅する音楽合宿」は
バスク・ビアリッツでの講習会

大学を卒業すると、師事していた先生の紹介で、パリ13区モーリス・ラヴェル音楽院 などで学ぶために、フランスに向かいました。

欧米ではバカンスシーズンにリゾート地のホテルや学校の寮を利用して講習会を行うところが多く、私も留学中に3回ほど参加しました。

はじめて参加した講習会はフランス南西部、バスク地方の海辺のリゾート地ビアリッツで行われたものです。

日本から飛行機を乗り継いでビアリッツに向かいました。同じ講習会に参加する友人と3人での移動です。
トランジットの時はもう3人でおそるおそる「この飛行機でいいのかな…」と緊張しながら乗り込みました。

いま振り返ってみると、この講習会が、私にとっては、はじめての「旅する音楽合宿」だったと思います。

フランスで師事する先生のクラスがある講習会で、先生との顔合わせ、留学先の学校の受験対策、そして秋口に参加するコンクールの課題曲を見ていただきました。
1週間の日程で、夏休み中の私立高校の寄宿舎のような施設で暮らしました。

講師の先生の中には、パリ管弦楽団やパリオペラ座管弦楽団で現役で活躍されている演奏家もたくさんいらして、文字通り寝食をともにします。
朝食を食べていると、眠そうな様子の先生方のかざらない素顔を垣間見ることもできて、これも合宿の醍醐味かな?と思いました。

他の参加者が比較的のんびりと海に繰り出すなどバカンスを楽しんでいるのに対し、私たち日本人の参加者は休憩時間も惜しむようにしてまじめに練習していましたね。

高原地帯での講習会に参加したこともあります。涼しくてとても快適な環境でしたが、高度の関係でリードが変わってしまい、調整に苦労したのも懐かしい思い出です。

3年間のフランス留学から帰国後、TKWOのオーディションに合格し、高校時代の憧れである大浦さんと楽団員同士として演奏することになりました!不思議な縁ですね(笑)。

顧問の先生がたへのご提案

音楽合宿のススメ

こんな音楽合宿に参加したい!

生徒として参加した音楽合宿・指導者として参加した音楽合宿それぞれの経験を踏まえて
もし、自分が音楽合宿を企画する立場だったら、押さえておきたいポイントを紹介します。

◼️練習に集中できる、涼しい環境で

指導者として実際に夏の音楽合宿に参加して、好印象だったのが越後湯沢や志賀高原などの、涼しくてさわやかな気候で、眺めのいい場所です。せっかくの音楽合宿を実りのあるものにするためにも、快適な演奏環境は大切です。長時間集中して練習しても汗をかきにくい合宿地、合宿施設選びにこだわりましょう。
ふだんの演奏環境から離れた空間に移動することによって、生徒たちも「非日常」の適度な緊張感のなかで練習に集中することができます。

◼️ふだんと異なる演奏環境を体験する

高度や温度湿度の影響により、楽器のコンディションは微妙に変わる場合があります。音楽合宿を通じて、ふだんとは違う環境で演奏する経験を積み重ねて、環境に応じた楽器のコンディション調整を工夫することも大切です。

◼️難しい部分、細かな部分の課題をその場でひもとく

ふだんなら「…この部分は、あとでよく練習しておいてね」と言わざるを得ない難しい部分、細かい部分も、合宿ではその場で課題を紐とき、その場で時間をとって練習ができます。これを積み重ねることによって、アンサンブル全体のクォリティも上がります。

もし、時間的な余裕があれば、クラリネット属のアンサンブルの練習や、同じパートでSoloとTuttiの役割を交代して演奏するなどふだんの部活ではできない練習にも挑戦しましょう。

◼️先輩、後輩、仲間の「人間観察」も大切

朝から晩までともに過ごすことで、仲間の人間的な面を発見できるのも、音楽合宿ならではの醍醐味。
食事ひとつにしても、猛烈なスピードで仲間の分まで食べてくれる先輩、びっくりするほどのんびり時間をかけて食べる仲間など、本当にいろいろで、ひとりひとりの持ち味がみえて、楽しいですよね。人間観察によって、おたがい理解が深まり指導の際のヒントになることも多々あります。

◼️楽しい時間・有意義な経験を共有する

「音楽合宿で食べたカレーは最高だった!」というように、楽しい時間や有意義な経験を共有できることも音楽合宿ならでは。仲間との関係性を深めて、それが演奏につながるような合宿にしましょう!

みんなへのメッセージ

「楽器と友だちになる」これが上達への秘訣

最初は、音が出ないのがあたりまえ。
譜面が読めなくても大丈夫、慣れます。
まずは楽器と友だちになること。これが大切です。
一緒にがんばりましょう!