Vol.11 B♭クラリネット奏者
野田 祐太郎(のだ ゆうたろう)氏
profile
●東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●洗足学園音楽大学卒業
たまたま見学した小学校のクラブで
誰かと一緒に音を奏でる楽しさを知る
僕が音楽に出会ったのは、小学校1年生のころ、姉が所属していた学校のブラスバンド部を見学に行ったときでした。まだ小さかった僕は遊び感覚だったのですが、その時いた指導の先生が「なんならちょっと叩いてみるか」と言って、打楽器のスティックを持たせてくれたんです。確か、楽器ではなく机か何かを叩くだけだったと思うのですが、思いのほか楽しいと感じたことを覚えています。
それをきっかけに自分も入部し、最初はタンバリンなどの打楽器を練習していました。そのころはまだ、難しい曲なんてもちろん演奏できません。それでも、ただ周囲のみんなと音を合わせるだけですごく楽しく、音楽が大好きでした。同じくらいの年代の男の子たちとリズムの出し合いをしたり、先輩たちが合奏している横で勝手に合わせて音を出したり。誰かと一緒に音を奏でることが、本当に楽しかったですね。
家に持ち帰った黒いクラリネットのケース
それを見るだけでワクワクした気持ちに
クラリネットに興味をもったのも、そのブラスバンド部が影響しています。小学校4年生のころ、新しい楽器にチャレンジする機会がありました。僕は指導の先生が持っていたクラリネットに魅力を感じていたので、学校にあったクラリネットを吹いてみました。しかしその時は、そもそも音すら出すことができませんでした。まず音を出す感覚を身に付けないといけないということで、同じリード楽器のアルトサックスを渡されて、マウスピースで音を出す練習を1年くらい続けました。
1年経って、もう一度クラリネットにチャレンジし、音が出たときは嬉しかったですね。やっと音が出た!という気持ちでなんだか楽しくなって、すぐに学校のクラリネットを借りて家に持ち帰りました。それからは毎日のように練習、練習です。家に帰ると黒いクラリネットのケースが置いてあるだけでワクワクしていました。
思うようにいかない…
消化できない気持ちを抱えた高校生活
中学校は吹奏楽部に入り、そして高校も全国大会に行くような吹奏楽の名門校に進学しました。姉もその吹奏楽部の出身で、自分が中学生のときに姉の全国大会の応援に行って演奏を聞いたとき、自分ももっと上手くなり、専門的にクラリネットを学びたいと思ったんです。
意気揚々と入部した吹奏楽部でしたが、僕の高校生活、特に音楽に関しては思うようにいかないことが多い三年間でした。もちろんクラリネットはずっと続けていましたが、自分が理想とする響きをみんなと作り上げることは簡単ではありませんでした。中学生のときに姉の演奏を聞いたときは、入部さえすれば自分もその一員としてみんなと素晴らしい演奏ができるものだと思い込んでいました。しかし、当然ながらその部に入ったからといって素晴らしい音楽ができるわけではありません。厳しい練習も必要ですし、誰もが高いレベルの音楽を奏でることができるとは限りません。イメージしていた世界と違う、となんとなく消化できないものを常に抱えていた感じでしたね。
部長としての役割に徹し
クラリネットを「吹かない」合宿生活
高校3年間で、部活動の合宿も経験しました。その部が毎年行っている定期演奏会では、ステージの最後にマーチングをやるのですが、そのマーチングを3日間で徹底して仕上げるため、夏休みには山奥にある体育館のような施設に行き、みんなで合宿をしていました。
合宿は楽しかったものの、高校生の僕がモヤモヤを抱えた原因の一つでもあります。普通は合宿と言うと、朝から晩まで演奏漬け、一日中楽器を触っていたという思い出を持つ方がほとんどだと思うのですが、僕の場合は、合宿でクラリネットを吹いた記憶が1回もない。二年生のときは一年生の指導係、三年生のときは身長が高い方だったためにマーチングでクラリネットではなくドラムメジャーを担当。さらに三年生のときは部長だったので、合宿では自分の練習ではなく、みんなをまとめたり練習の面倒を見たりしなければなりませんでした。
合宿中の僕の役割は、顧問の先生の言ったことを理解できるよう噛み砕いてみんなに伝えたり、個々の部員を見て回って練習のお手伝いをしたり、指導補佐のような位置づけです。僕も吹きたいと先生に伝えたこともあったのですが認められず、気持ちにしこりを残しながら参加していたという感じでしたね。
それでも、みんながしっかりと練習できるよう部長として周りの様子に目を配ることを意識したことで、なんとなく部員それぞれの個性がわかるようにもなりました。自分の世界に入って一つのことに集中する人もいれば、誰かと一緒にやりたいけれど、もじもじしてなかなか声をかけられない人、何か別のことをやってなかなか練習をスタートしない人など、本当に部員によってそれぞれです。演奏そのものというよりは、音を出す前の段階からそれぞれの好みやスタイルがあるんですね。合宿という場で一日中一つ屋根の下で生活し、朝から晩まで一緒にいることで、それまで気がつかなかったその人の考え方や行動のくせみたいなものがなんとなくわかってくるようになりました。
僕は力強くみんなを引っ張るというよりは、それぞれの部員の個性に合わせて裏でそっとケアをするタイプの部長だったので、この合宿で得た気付きはその後もすごく役に立ちました。部員同士がもめたりトラブルになったりしたときも、僕が間に入って相手が落ち着く接し方を考えて、「あの人の場合は、そういう言い方だと伝わらないかもしれないね」と部員にアドバイスをしていました。よく部員からは「よく人を見ているよね」「なんでわかるの」と言われていました。合宿の経験から、人と接するときの視野が広がったかもしれないですね。
みんなの晴れ晴れとした表情を見て
自分の気持ちも解放された
クラリネットを吹くことができないことに関して、なんとなく晴れない気持ちを抱えたまま終わった合宿でしたが、帰って来てから、気持ちに少し変化がありました。合宿の後の定期演奏会が大成功に終わり、そのときのみんなの顔がすごく晴れ晴れとしていたんです。みんなのその表情を見て、部長という役割に徹してよかったのかなと初めて感じました。自分が何かを思い通りにできた満足感ではなく、みんなが演奏して喜んでいる様子や雰囲気を見て、みんなが楽しいならいいか、と納得できたというか、これで良かったんだなとやっと思えた感じですね。
あとから先生にかけてもらった言葉も印象に残っています。「あなたは苦しくても、あまり苦しい顔をしないね。苦労をしていても、それを表に出さないね」と言われたんです。僕自身、意識してそうしていたわけではないし、どういう意味なのか最初はよくわかっていなかったのですが、すごく頭に残っていて。後から考えて、先生は、僕のモヤモヤした気持ちをわかってくれていて、それでも苦しい顔をせずに部長という役に徹したことを褒めてくれたんだなと思うようになりました。言葉としてはありませんでしたが、「辛い気持ちもあったけれど、それを顔に出さないで、ちゃんと最後までやってくれてありがとう、頑張ったな」と労ってくれた、そんな先生の気持ちを感じました。
最終的にやって良かったと思えたことで、なんだか思うようにいかないと感じていたそれまでの高校生活や、部活動の思い出が良いものに変わったというか、解放された気持ちがしました。今振り返ると、あの時の経験があるから今プロとして音楽を続けていて、辛いことがあってもプラスに考えることができるようになった気がします。
こんな音を出せるようになりたい
プロを志すきっかけとなった出会い
高校時代には、プロの道を目指したいと思わせてくれた素敵な出会いもありました。今の師匠である先生が、学校で行われた定期演奏会でゲストプレーヤーとして参加したときのことです。そのときにクラリネットの音を聞いて受けた衝撃は、今でも忘れることができません。その先生は僕よりもずっと体が小さいのですが、その小さな体から出る音がホール中に響き渡るんです。一音聞いただけで目が覚める、ぞくっとする。音がいいのはもちろんなのですが、それだけではなく、いつまでも頭に残る、とにかく響く音でした。
その時は、クラシックステージがマーティン・エレビー作曲のコンチェルト、ホップステージがシング・シング・シングとスターダストという曲だったのですが、定期演奏会のDVDで、先生が吹いている部分を朝から晩までずっと聞き続けていました。
その後、その先生が定期的にレッスンで学校に来てくれるようになり、音を聞くだけでも本当に勉強になりました。その音に惹かれて、こういう音を自分も出したい、この先生にもっとクラリネットを教わりたいと思い、その先生がいる大学に進学しました。
自分の音楽の原点
周囲と音楽を奏でる喜びを大切に
プロとして活動していく上で大切にしているのは、「自分の演奏だけに一生懸命にならない」ことです。よく耳を使って周りの音を聞かないと、他のパートがどうなっているか、理解ができません。自分のクラリネットのことだけに集中してしまうと、全体として良い演奏ができないんです。
今、東京佼成ウインドオーケストラの一員としてクラリネットを吹いていますが、ここで多くの先輩や仲間に出会い、周りの音を聞いてみんなと一緒に演奏する楽しさを改めて感じています。小学生の僕がブラスバンド部で感じた、人と音を合わせる喜び、誰かと一緒に音楽を奏でる楽しさは、僕にとっての音楽の原点です。それこそが、僕の音楽への想い、スタートです。今後はさらに、サウンドの豊かな響きや重なり、重厚感、しなやかさ。そういった無限にある表現を常に追求していきたい。演奏をもっともっと多くの人に聞いて欲しい。そして吹奏楽の常識、意識を変えていきたいと思っています。そのためにも団の仲間達とコミュニケーションを取って音で会話をし、生き物の様に動く音楽を目指していきたいと思っています。
生き物のように動く音楽
「苦しかった」はずの高校生活の思い出を語るその表情はとても穏やかで、じっくりと考えながら一言一言を丁寧に答える姿が印象的だ。その柔らかな雰囲気、人柄に、合宿で助けられた部員も多かったのだろうと想像される。彼が目指す、仲間と織りなす「生き物のように動く音楽」はどのようなものなのか、思いを馳せる楽しみを聞き手に与えてくれる、そんな素敵なオーラを身にまとった奏者だ。