Vol.26 バリトンサクソフォン奏者

栃尾 克樹(とちお かつき)氏 

profile
東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●東京藝術大学卒
●2020年度レコードアカデミー賞 吹奏楽/管打楽器特別部門賞を受賞
●武蔵野音楽大学教授

中学生の吹奏楽部のコンサートで衝撃を受け
吹奏楽部に

両親が音楽好きだったことから、音楽は僕にとって身近な存在でした。自分も小さなころからピアノを習っており、自宅にあったステレオで、いつもいろいろなレコードを聴いていたことを覚えています。

小学生6年生のとき、近所に住んでいた中学生のお兄さんから、その人が所属していた吹奏楽部のコンサートのチケットをもらいました。当日、会場の市民会館に行って演奏を聴いたら、自分が想像していたよりもずっと本格的で驚きました。小学生の自分にとって学校にある楽器というと、大太鼓・小太鼓・シンバルや鍵盤ハーモニカくらいです。しかしそのコンサートでは金管楽器や木管楽器など、オーケストラで目にするような楽器がたくさん並んでいて、しかもそれらの立派な楽器を演奏していたのは中学生です。中学生でもこんなすごい楽器が吹けるのか、と衝撃を受けました。

それもきっかけの一つとなり、中学では自分も吹奏楽部に入部しました。最初に、どの楽器をやりたいか第3希望ぐらいまで書いてそれぞれ提出するのですが、僕はトロンボーンやトランペットをやりたいと書きました。しかし、それらの楽器は特に男子生徒から人気が高かったため希望が叶わず、気が付いたらサックスの担当になっていました。サックスは当時マイナーな楽器で、おそらく希望者がいなかったんですね。自分としてはこだわりはなく、どんな楽器でもいいと思っていたので、特に嫌だとは感じませんでした。

自分たちで考え開催した
中庭コンサート」

中学校でサックスを始めてからは、中学、高校と学生時代は部活漬けになり、毎日のようにサックスを演奏していました。

進学した高校は自主的な校風で、生徒たちで部の運営をしていました。特に印象深いのは、部員たちで考えて開催していた「中庭コンサート」です。生徒たちがお昼休みにお弁当を食べている時間、中庭で部員たちが演奏をするんです。

曲目は当時流行っていた歌手の沢田研二さんの曲や、銀河鉄道999の曲など、生徒たちが知っているものばかり。聴いているみんなが一緒に歌ったり、窓から紙テープ代わりにワーッとトイレットペーパーを投げてくれたり(決して褒められたことではありませんが)、いつも盛り上がりました。ただし、昼休みにコンサートがあるので、吹奏楽部の部員はお昼の時間にご飯が食べられません。今だから白状すると、4時間目までのどこかの時間で、教科書で手元を隠しながらいつも早弁をしていました(笑)。

偉大な奏者のレコードを聴き、
憧れ、真似した日々
高校2年生のときに音楽の道に進もうと決意

楽器を吹くことが楽しくて楽しくて、高校2年生のころにはもう、音楽の道にすすもうと決めていました。今思うと少し遅くはあるのですが、2年生ぐらいからレッスンにも通い始め、音大受験の準備を始めました。

音楽で生きていきたい、サックスを続けたいという思いに一番影響したのは、そのころ聴いたダニエル・デファイエやマルセル・ミュールというサックス奏者のレコードの演奏だと思います。自分で買ったり、当時師事していた喜田賦先生にお借りしたLPレコードをかけて流れてきた音が素晴らしくて。やっぱりすごいな、自分もこんな音を出してみたい、と憧れましたね。

それからジャズも好きだったので、渡辺貞夫さんやチャーリー・パーカー、ジョン・コルトレーンなどジャズの巨人のレコードを何度も聴いていました。アドリブ部分などは、耳で聴いて真似したいと思っても、なかなか全部を覚えることができません。なんとか同じように吹きたいと思い、カセットテープで録音して、ラジカセで再生しながら自分で譜面にソロのアドリブ部分を書き取っていました。

そうした一つひとつが積み重なり、音楽に対する思いや今の演奏につながっているかもしれないですね。

地元の市民バンドで行った琵琶湖合宿
共に過ごした仲間は大切な財産

高校生のころは、音楽合宿にも参加をしていました。といっても、学校の吹奏楽部としての合宿ではなく、通っていた中学校のOBを中心とした、地元の市民バンドの合宿です。

中学校のときの顧問の先生がやっていたバンドで、メンバーは高校生以上ですが、8割ぐらいが大人たちです。みんなプロの音楽家ではないので、合宿といっても、集まって猛練習をするというよりは、夏に音楽好きの大人が集まって、楽しくリフレッシュをする、といった感じでした。

琵琶湖湖畔の和邇浜という場所に演奏ができる施設があり、寝泊まりするのはそこの大部屋。みんなで雑魚寝です。別々の高校に進学し、バラバラになった中学時代の同級生と久しぶりに会える場でもあり、その合宿は僕にとって本当に楽しいイベントでした。日中は湖でボート遊びをしたり、夜は大人たちが大宴会をしている横でジュースを飲みながら、ちょっとここでは言えないような大人の話に聞き耳を立てて「大人って悪いなあ」と思ったり(笑)。

今でもその市民バンドは続いています。新しい若い人もたくさん入ってきていますが、自分がいた当時の大人たちや先生は、当然みんなもう年齢を重ねています。70代になって仕事をリタイアして、それでも市民バンドを続けている先輩もいますね。

僕もたまに地元に帰ると、顔を出してみんなでお酒を飲むのが楽しみの一つです。ごく数回ですが、その市民バンドが何周年目かに記念公演をしたときは、呼ばれて演奏したこともありました。一緒にみんなで寝泊まりして、演奏して…若い時代を一緒に過ごしたことで絆が深まり、ずっと続く関係性を築けているのかもしれません。しょっちゅう会うことはできませんが、一緒に合宿に行ったメンバーたちは、僕にとって今でも大切な仲間です。

自分にとって楽器は「媒体」
音楽そのものを表現したい

学生時代をともに過ごした仲間と一緒に演奏する楽しさと、プロとして演奏する楽しさは、通じるところもあれば違うところもあります。

プロとして演奏活動をしていると、サクソフォンの魅力はどういうところかと聞かれることがあります。それは僕にとって、一番難しい質問です。

誤解を恐れずに言うと、僕にとって楽器というのは「媒体」であり、目的ではありません。演奏をしていても、サックスの魅力を伝えようという気持ちはあまりなくて、表現したいのは音楽そのものであり、作曲家の思いであり、曲の持っている魅力やスタイルとか、そういうことなんです。そのために自分が一番扱えるのがたまたまサックスだった。だから、サックスがすごいと言われても、あんまり嬉しくありません。「この曲すごく良いね」と言われた方がずっと嬉しいですね。

だから、僕にとっての目的はやはり音楽そのもので、それを表現するための媒体、メディアが楽器です。楽器とは、そういうものだと思います。

自分なりにこのサックスという媒体を使って表現したいことはあるけれど、「できた」と感じたことはありません。長年やっていますが、いつも「もっともっと」と感じています。これでいいと満足したことがないんです。満足したら、きっとそこで止まってしまうのではないでしょうか。もっと他にできることがあるのではないか、もっと良い演奏ができるはずだ、いつもそう感じています。

吹奏楽をやる一番の喜びは、大勢のメンバーで一つの音楽に向かっていくことだと思います。一つの音楽を作り上げようとしたときに、個々の力が合わさって、10人いたら10倍ではなく100倍にも1000倍にもなる。そんな瞬間がごくたまに訪れます。その瞬間のために、ずっと音楽を続けているような気がします。楽しみながら続けていれば、思いもよらない素晴らしいご褒美が降ってくることがあるかもしれません。今音楽を楽しんでいる若い皆さんも、そのご褒美に出会えるよう、ずっと音楽を好きでいてくれたら嬉しいなと思います。