Vol.27 アルトサクソフォン奏者

五十嵐 健太(いがらし けんた)氏 

profile
東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●最終学歴
・リセンコ記念国立音楽学校(KSSMS)
・ウクライナ国立チャイコフスキー記念音楽院(キーウ音楽院)
・東京音楽大学
・東京音楽大学大学院音楽研究科
●2019年に国際ヨーロッパサクソフォーンフォーラム(ポーランド・ヴロツワフ)第1位、2020年にヤマハ・ミュージック・ガルフ・スカラシップ、2022年に第37回日本管打楽器コンクールサクソフォーン部門第1位及び内閣総理大臣賞、特別大賞受賞、さらに2023年には第8回アドルフ・サックス国際コンクール(ベルギー・ディナン)にて第5位入賞など、30以上の国際コンクールで受賞・入賞を果たす。

ウクライナで育ち
7歳でピアノとサックスを始めた

私の母親はウクライナ人で、父親は日本人です。日本で生まれ、5歳のときにウクライナに行き、ウクライナで育ちました。

音楽を始めたのは、7歳のとき。弟が音楽学校に通っていて、よく母と迎えに行っていました。弟を待つ間、ピアノの教師から「待つ時間がもったいないし、お兄さんもピアノをやってみたら?」とすすめられたことが、音楽を始めたきっかけです。

最初はピアノを習っていたのですが、テレビなどでサックスを見たことがあり、「かっこいいな」というイメージを持っていました。どうせ音楽をやるなら、ピアノだけではなくサックスもやりたいと考え、ピアノを始めてから半年ほど遅れて、サックスも並行して始めました。

小さな子どもの場合、いきなりサックスを吹くのではなく、最初にリコーダーなどを1年くらい練習するのが一般的です。しかし1週間くらいリコーダーをやった私は、「つまらない」と思い、すぐにサックスの練習を始めました。おそらく7歳の子どもにとってサックスは大きかったと思うのですが、早く演奏したかったのでしょうね。

11歳で音楽家としての道を決断
特別音楽学校へ

しばらくの間、弟と同じ音楽学校でサックスのレッスンを受けていましたが、11歳のころ、ウクライナで有名なサックスの教授にたまたま出会い、より専門的な教育を受けられる特別音楽学校に入ることをすすめられました。私の母はもともとバレリーナで、その特別音楽学校と同じ建物内にあるバレエの学校に通っていたため、その学校のこともよく知っていました。そして、芸術についても、厳しさを含め理解していました。

その学校に入学するというのは、将来は音楽家になる、と決めることを意味します。母からは、「もし特別音楽学校に入ったら、音楽以外のことはできなくなる。ものすごく大変だし、相当な努力をしなければならない。それでも行くかどうか、自分で決めなさい」と言われました。

11歳の僕は少し考え、「行きたい」と答えました。音楽がある道と音楽がない道を想像したときに、音楽がなければ生きていけないと感じたんです。いつか大人になって音楽家以外の仕事に就いたら、忙しくて音楽ができなくなってしまうかもしれない。それよりは、音楽家としてプロの道をすすみたい、そう思いました。本当にサックスが好きだったんです。

特別音楽学校に入った時点で
「自分はプロだ」と意識
海外での演奏活動も

ウクライナでは、学生とプロとの間に明確な線引きはありません。特別音楽学校に入っている人をみんなはプロと呼びますし、自分としても、11歳で特別音楽学校に入った時点で「自分はプロの音楽家だ」という意識を持っていました。

実際に演奏活動を始めたのも、12歳のころからです。オーケストラと演奏会をやったり、海外に行って演奏したり、子どものころからいろいろな活動をしてきました。15歳のときには、ウクライナの国立オペラバレエのオーケストラにエキストラとして参加し、ギリシャで演奏したこともあります。実は、その演奏に参加できたのは、たまたま私が日本国籍だったために日本のパスポートを持っていたことが理由でした。スムーズに入国できるパスポートを持つ奏者がなかなか見つからずに人を探していたらしく、1週間くらい前に急遽決まったんです。運よく素晴らしい機会を得ることができ、緊張はしましたが、ものすごくうれしかったことを覚えています。

レッスンだけではなく
一つひとつが貴重な経験になる音楽合宿

ウクライナでは、いわゆる日本の学校の「部活動」がほとんどありません。学校の授業以外での音楽やスポーツ活動は、学校とは別の場所に行ってやりたい人がやる、という形です。

そのため、いわゆる日本の吹奏楽部の合宿は経験したことがありませんが、昨年、台湾で行われたサマーキャンプに、指導者としてはじめて参加しました。7歳くらいの子どもから20代くらいまで、40人くらいの台湾のサックス奏者が集まって数日間を過ごす、いわゆる音楽合宿です。指導者は7人いて、4人が日本人、3人が台湾の人でした。

そのキャンプでは、朝早くから練習をして、1日中レッスンをしたり演奏をしたり、忙しいスケジュールが組まれていました。教える側も、レッスンの内容を考える必要があります。一度のレッスンで終わるものではなく、数日間、根をつめて練習できる合宿にあった曲や指導のポイントを工夫するように意識しました。

レッスンは大変でしたが、同時に、合宿はとても楽しい場でもありました。年齢の違う大勢の人たちと一緒にご飯を食べて、移動のバスの中もいつも大盛り上がりです。帰る時には、みんな別れが寂しくて、涙を流していました。

音楽的にも、合宿はものすごく勉強になる場だと思います。プロから毎日レッスンを受けることができる、というメリットはもちろんですが、それだけではありません。指導者による違いを感じたり、他の人の演奏を聞いたり……。「あそこの場所、あの先生からはこうやって吹くように言われたけど、別の先生からはこうやって教わったよ」といった生徒同士の議論もあちこちで交わされます。普段どんな道具を使っているか、どんな練習をしているか、いろいろなことをシェアできるのも魅力です。レッスンを受けること、演奏を聴くこと、みんなと会話をすること、その一つひとつが音楽を学ぶ上で貴重な経験になるはずです。

ウクライナでの戦争から避難するため
再び日本へ

2022年、ウクライナでの戦争により避難が必要となり、私は5歳まで過ごした日本に再びやってきました。

日本に来たときは、来日後何をするのか、どうやって暮らしていくのかまったくわからず、不安でいっぱいでした。サックスも持ってはきたけれど、続けられるかどうかはわかりません。たまたま、知り合いの伝手で東京音楽大学から声がかかり、試験を受けて無事入学することができました。そして在学中に佼成ウインドのオーディションのことを友人から聞き、先生と相談して受けてみることにしました。ウクライナでは吹奏楽があまり盛んではなく、日本に来てから勉強を始めたばかりだったので、正直自信はありませんでした。チャレンジだと思いオーディションを受け、合格の知らせを聞いたときには本当にうれしかったですね。

入団後も、最初は何を誰に聞いたらよいのかわからず緊張の毎日でしたが、いろいろな方からのアドバイスを受け、助けてもらいながら、だんだんと慣れることができました。今は吹奏楽を楽しく演奏し、充実した毎日を送っています。

サックスは「自分」
ウクライナにいる家族や友人に
いつか佼成ウインドの演奏を

サックスの魅力は、いろいろな音色を出せるところです。同じ曲でも奏者によって違いがありますし、マウスピースを変えるだけでも変わります。クラシックはもちろん、ジャズやポップス、メタルっぽい演奏も可能です。

そして、新しい楽器であるがゆえに、演奏方法や楽器自体のモデルも日々進化しています。現代の作曲家が、挑戦的なアレンジを作ることもあります。研究しつくされていないところが魅力でもあり、難しさでもありますね。

サックスは、あたたかい、明るい、優しい……、表現するのが難しいですね。サックスは自分自身です。友達や仲間というより、自分。私の一部という感じです。サックスを演奏して出てくる音は自分自身であり、体の中から全部つながっているものです。

日本に来て約3年。現在、弟はオーストリアに、他の家族や友人はウクライナにいます。やはり寂しい。家族が恋しいですし、もちろん会いたいです。私が佼成ウインドに入団したことを喜び、応援してくれています。

先日、中国で開催された世界中のプロのサックス奏者が集まる会に参加したのですが、そこでも佼成ウインドの名前は広く知れ渡っていました。「今は日本のどこで演奏しているの?」と、質問され、佼成ウインドにいると答えると、スペイン人も、イタリア人も、世界のプロ奏者が「あの佼成ウインドにいるの!すごいね!」と言ってくれました。佼成ウインドで演奏していることは、私の誇りです。

ウクライナにも吹奏楽はありますが、それほど盛んではないので、私の知人が佼成ウインドの質の高い演奏を聴いたら、きっと驚くのではないでしょうか。いつか、佼成ウインドの演奏を家族や友人に聴かせてあげたい…そんな思いを胸に、日本で演奏活動を続けたいと思います。