Vol.29 東京佼成ウインドオーケストラ事務局 理事長

勝川 本久(かつかわ もとひさ)氏  

profile
東京佼成ウインドオーケストラ事務局
●東京都出身、武蔵野音楽大学でトロンボーンを専攻。
●2003年6月から東京佼成ウインドオーケストラのステージスタッフとして就業。
●2008年ステージマネージャーとして入職。
●2015年からは総務、経理の一部業務も兼ねる。
●2021年7月に楽団の一般社団法人登記に伴い代表理事(理事長)に就任。

音楽は子どものころから身近な存在
高校で吹奏楽部に入部

私が東京佼成ウインドオーケストラで働き始めたのは、20年以上前の2003年。最初はステージスタッフのアルバイトとして入り、2008年に正式にステージマネージャーとして入職しました。その後、2021年に楽団の一般社団法人登記に伴い代表理事に就任し、今に至ります。

僕にとって音楽は、子どものころからずっと身近な存在でした。父はジャズ、母は三味線と両親ともに音楽が好きで、家の中にはいつも音楽が流れていました。自分自身もプロテスタント系の幼稚園に通っていたので、毎日のように賛美歌を歌っていたことを覚えています。

吹奏楽部に入ったのは高校生のときからです。中高一貫校に入学し、中学生のときはサッカー部だったのですが、サッカーは才能がなかったのか、なかなか上達せず、マネージャーのような部員でした。サッカー部の顧問の先生が吹奏楽部の顧問も兼任していて、中学のころからずっと吹奏楽部をすすめられていたんです。「高校生になったら吹奏楽部に入ります」と返事をしていたので、約束通り、高校進学とともに吹奏楽部に入部しました。

ついたあだ名は「魔王」
部活では時に厳しく指導をすることも

担当した楽器は、トロンボーンでした。それが初めてのトロンボーンとの出会いです。その部には、「入部して1ヵ月は楽器を触らない」という伝統みたいなものがあり、最初のころ吹かせてもらえたのはマウスピースだけ。1ヵ月がたって初めて楽器を持った時は嬉しかったですね。

私の学校は一応夏のコンクールには出ていたものの、いわゆる強豪校と呼ばれるような熱心な部活動ではありませんでした。そのため、普段の練習も緩い感じで、ほとんどの部員がコンクールの2週間くらい前からなんとなく頑張り始める、という具合でした。

一方で僕は、自分で言うのもなんですが、高校に入ってからトロンボーンを始めたにも関わらず、他の部員よりも吹けるようになっていたと思います。そんな僕からすると、だらだらと練習しているのが許せない、という気持ちがありました。良い演奏をする前に、そもそも楽譜通りの音を出すことができない。それはダメだろうと。「コンクールに出るなら、一生懸命やるべきだ」と思っていたんです。

そうした気持ちもあり、1年生のころから同級生も先輩も関係なく注意をしたり、練習の指導をしたりしていました。ついたあだ名は「魔王」。僕が口うるさくみんなにあれこれ言うので、僕が教室に入って行くと、それまで練習していた部員たちが一斉に隣の部屋に移動してしまう、なんてこともありました。とはいっても、厳しく接するのは練習の時間だけ。練習以外の時間はみんなと仲良くやっていました。

高校の吹奏楽部で行った音楽合宿
思い出に残る花火

高校の吹奏楽部では、音楽合宿にも行きました。5泊6日の日程で、富士五湖の西湖のほとりにある民宿にみんなで宿泊しました。中高一貫校だったので、6学年全員で、50人ほどの大人数です。入部したての部員は中学1年生というよりも「小学7年生」という感じで、高校生が中学生の面倒をみていました。

強豪校ではないものの、合宿中はもちろん演奏の練習もしました。僕はトロンボーンの練習をしながら、トロンボーンだけではなくユーフォニウムやチューバなどの金管楽器を中心に他の部員の指導もしていました。もちろん、合宿でも練習中は厳しくしていました。

思い出に残っているのは、夜のレクリエーションの時間にみんなでやった花火です。手持ちの線香花火や打ち上げ花火、ネズミ花火などたくさんの種類の花火を楽しみました。中には、花火を持って「魔王を倒せ!」なんて言ってこちらに向かってくる部員もいて。音楽合宿ではあったのですが、練習以外にみんなでいろいろと楽しんだ時間の方が印象深いですね。

他人と共に生きていく上で大切なものとは
数々の合宿で得た財産

高校の吹奏楽部での音楽合宿に限らず、家族以外の人たちと寝泊まりする経験は人よりも多かったと思います。通っていたプロテスタント系の幼稚園の関係で、小学生のときに日曜学校に行っていて、毎年夏はサマーキャンプがありました。中学生のときもサッカー部の合宿があり、毎年参加をしていました。

数々の合宿を経験して良かった点の一つは、「人と自分は違う」とわかることだと思います。普段はそれぞれの家で暮らしている人たちが、合宿の間は一つ屋根の下で数日間を一緒に過ごします。そうすると、自分では当たり前だと思っていたことがみんなにとっては違ったり、逆に当然のようにとった行動がみんなから驚かれたり、例えば食事のときの配膳の仕方一つとっても、小さな発見があるんです。若いころに合宿を経験することで、社会性が身につき、広い意味で世の中のことが少しわかるようになるのではないでしょうか。

そして、他人は自分と違うと認識することで、他人と共に生きていく上で何が大切かを肌で感じることもできるようになります。例えば寝るときでも、他人のいびきが気になったり、夜中に目を覚ます人がいたり、いつもの自宅の快適な環境とは異なるため、ある意味ストレスを感じることもあります。しかし、他人と長い時間を過ごす上で、いつもと違う状況が起こるのは当然のことです。それを当たり前だと認識して、その上でどうすればお互い気持ちよく過ごせるかを考えられるようになったことも、大きな財産だと感じています。

合宿の経験が生きた
ステージマネージャとしてのチーム作り

僕自身、長い期間を他人と過ごす上で大切なたくさんのことを、合宿で学ぶことができました。合宿での経験が、後の仕事観を形づくる一つにもなっています。

理事長になる前はステージマネージャーという立場で、ステージを作るスタッフがうまくチームワークを組めるようにまとめることも大事な役割でした。楽団のツアーがあると、約3ヵ月間、家に帰らず日本中を楽団のみんなと回るんです。中でもステージスタッフの6人は2台のトラックに乗って移動し、毎日、毎日、長い時間を一緒に過ごします。来る日も来る日も長時間一緒にいると、もちろんケンカもします。しかし、ケンカをしても長引かせず、そして後腐れなく仲直りをしないと、仕事になりません。3人乗りのトラックでぎゅうぎゅうの状態で高速を何時間も走るので、ずっとケンカをしていたら自分たちが消耗してしまうんです。

新しく入ってきたばかりのアルバイトなどの場合、最初はそのポイントがわからず衝突してしまうこともあります。そういう時でも、叱ったり諭したりしないで、辛そうだなと思ったら飲み物を買って渡すなど見守るようにしていました。特にこちらから細かいことを言わなくても、3ヵ月も一緒にいると、大体どうすべきかがわかってきます。

トラックで移動していた3ヵ月間は、ホテルのシングルルームにそれぞれ宿泊します。しかしツアーの期間中、必ず一回は大部屋にみんなで泊まる日を作るようにしていました。全員で夜中まで酒盛りをして、酔いつぶれて、同じ部屋で寝るんです。良い仕事をするためには、チームワークは非常に重要です。コミュニケーションをしっかりと取りながらも、お互いに「他人と自分は違う」ということを理解して、人を変えようと思わない。自分の価値観を押し付けない。ステージマネージャーとしてそうした気配りを意識できるようになったのも、小さなころからの合宿の経験が生きていると思います。

試行錯誤を重ね
少しずつ身につけていったステージづくり

ステージを作るスタッフとして大切なのは、1つの演奏会を成功させるために、奏者にストレスがないようにすること。隣の音が近すぎたり、会場のホールの響きに合わないセッティングをしたりしないように気をつけなければなりません。

奏者や指揮者の希望を伺って、物理的に要望どおりのセッティングができない場合には、周りとコミュニケーションを取りながら次善の策を施していきます。大変ですが、やりがいでもありますね。この仕事の良いところは、がんばって演奏会が成功すると、何百人、何千人というお客様が皆さん、笑顔になって帰ってくださるところです。その笑顔を見ることができたときは、本当にやっててよかったなと思います。

もちろん、最初からうまくセッティングできるようになったわけではありません。アルバイトのころは、ステージマネージャーが何か欲しいと思って声をかけてきたら、すでにそれを準備できているくらいになろうと思って、たくさん勉強しました。そうやって努力していると、奏者の方たちからも少しずつ声をかけてくれるようになるんです。それが嬉しくて、もっと役に立とうと努力することができました。

僕の前任のステージマネージャーの存在も大きかったと思います。その方は、たくさんの音楽を聴いていろいろな知識を持っている方でした。吹奏楽はもちろん、オーケストラやオペラ、ジャズに邦楽、あらゆる音楽を聞いて、どういった時にどういう配慮が求められているのか、そしてどういう考え方で楽器が配置されているのか、たくさんの知見を持っていました。向こうから何かを教えてくれるわけではないのですが、質問すると、少しヒントをくれるんです。そうやって、僕も少しずつ必要なことを身につけていきました。

もちろん、数え切れないほどの失敗も経験しました。演奏会では演奏前にチューニングをしますが、指揮者はそのチューニングが終わってから舞台に登場します。チューニングが終わって指揮者に出るタイミングを指示するのが僕の役割だったのですが、あるとき、チューニングが始まる瞬間に、指揮者を舞台に出してしまったことがありました。

本番のステージなので、当然お客様も見ています。大勢の観客の前でチューニングが行われている最中、指揮者はずっと舞台に立っているしかない、という状態です。「やってしまった」と思い、舞台の袖で思わず座り込んでしまいました。皆さん寛大に笑って許してくださいましたが、あのときのことは、今でも忘れられません。

理事長として
仲間と共に東京佼成ウインドの素晴らしさを世界に伝えたい

仕事をしていて僕の中での「合格」は、奏者に「いつもありがとう」と言ってもらえるような働きができること。何か至らない点があると、その言葉は出てこないと思うので、そう言ってもらえると赤点ではなかったな、と納得することができます。

20年以上ずっと佼成ウインドで仕事をしてきて、社会人としての基礎から楽団を支える仕事をする上で必要な事柄まで、本当にいろいろなことを学ばせてもらいました。2021年にそれまでの運営母体から独立するタイミングで代表を立てる必要があり、受けてきた恩を返さないといけないなと考えて、理事長の役目を担うことを決めました。

今の僕の立場におけるミッションは、この素晴らしい吹奏楽団を世界中の方に知っていただくことです。もちろん、一人ではできません。大切な仲間と共に、チームワークを築きながら取り組むことが必要です。独立するときに残ってくれた団員や事務局のスタッフたちと一緒にお仕事ができることは、何よりの喜びです。これからも理事長として東京佼成ウインドを支え、みんなと共に良い楽団を作っていきたいと思います。