Vol.14 ピッコロ・フルート奏者
丸田 悠太(まるた ゆうた)氏
profile
●東京佼成ウインドオーケストラ楽団員
●公式ブログ“笛吹きの雑記帳”
新潟県新潟市出身。フルートを榎本正一、浅利守宏、大友太郎、佐久間由美子の各氏に師事。国立音楽大学を首席で卒業、矢田部賞受賞。国立音楽大学大学院修士課程修了、研究奨学金授与。第7回JILA音楽コンクール 管打楽器部門 第2位。第15回ヤング・プラハ国際音楽祭出演、他ソリストとして多数出演。
東京ニューシティ管弦楽団を経て現在、東京佼成ウインドオーケストラ ピッコロ&フルート奏者。風の五重奏団、東京ELEMENTS、デュオ・まるみや、メンバー。昭和音楽大学、洗足学園音楽大学、国立音楽大学、各非常勤講師。

なんてキレイな音がするんだろう…
フルートに魅せられたクリスマスコンサート
私がフルートを吹くようになった最初のきっかけは、小学校2年生の冬、近所の公民館で開催されたクリスマスコンサートへ親と一緒に行ったことです。そこでフルートとバイオリン、そしてソプラノ歌手による演奏を聞いたのですが、初めてフルートの音色を聴いた私は、なんてキレイな音がするんだろうと、すっかり魅せられてしまいました。自分は覚えていないのですが、子どものころはすごく人見知りが激しい性格だったにも関わらず、演奏が終わったあと、「フルートを吹いていた人と握手がしたい」と母にせがんだらしいです。そのぐらい、子どもながらフルートの音色に感銘を受けたのだと思います。
私のそんな様子を見て、母も何かを感じたのでしょう。そのフルート奏者が次にどこで演奏するのか、新聞などをあさって調べたそうです。インターネットもない時代に大変だったと思うのですが、情報を見つけた母は、その方に会える演奏場所まで、また私を連れていってくれました。そして、「この子にフルートを教えていただけないでしょうか」と直接交渉してくれました。今考えると、すごい行動力ですね(笑)。そのときの母のおかげで、フルート奏者としての今の僕があると言えます。本当に感謝しています。
その方は快く母の申し出を引き受けてくれて、それからというもの、私はその先生のフルートの指導を受けることになりました。週に一回、フルートを習うために先生のもとへ通っていたのですが、嫌だと思ったことは一度もありません。先生のレッスンは本当に素晴らしくて、面白くて、週に一回のレッスンが本当に楽しみでした。優しく生徒に寄り添った指導をしてくださる先生で、いわば僕のフルートの最初の恩師です。今でも地元・新潟県で演奏会があると、聞きに来てくれます。
最初は不本意だったトロンボーンで知った
みんなで合奏を作り上げる楽しさ
中学に進学して部活動を選ぶ時も、好きなフルートを吹いて音楽がしたいと考え、吹奏楽部に入部しました。しかし、いざ担当の楽器を決める段階で、「君は手が長いから、トロンボーンね」と、フルートではない楽器の担当になってしまいました。フルートを小学校から習っていること、自分のフルートも持っていることを伝えたのですが、決定は覆りませんでした。
不本意だった私は、中学に入っても続けていたフルートのレッスンで、先生に「僕、フルートじゃなくてトロンボーンになっちゃったんです」と愚痴まじりに報告をしました。それを聞いた先生は「なかなか面白そうだね」とおっしゃいました。違う楽器になってしまうのならやめた方がいい、と言われると思っていたのに、逆にやってみたら、と勧められたんです。大好きな尊敬する先生にそう言われた私は、やってみるのもありかなと考えなおしました。吹奏楽部に残ることを決め、週に一回フルートを習いに行き、部活動でトロンボーンを吹くという中学校生活を送ることになりました。
いざ始めたものの、トロンボーンを触ったこともなかった私は、音を出すのも一苦労です。一方で、他のトロンボーンを担当している生徒たちは、小学校の吹奏楽部で吹いてきた経験者ばかり。同じ1年生なのに、ハイトーンもバンバン出すことができていました。最初は劣等感もありましたが、やめる訳にもいきません。なんとかみんなに追いつこうとがんばって練習し、だんだん音が出るようになりました。

それでも、他のみんなのように、ハイトーンを上手に出すことはできません。そのため、私の役割はサードトロンボーンで、低い音を出すことでした。自分のパートを一生懸命に吹いているうちに、合奏全体の中で、低い音は低い音なりに大事だということがわかってきました。低音がしっかり決まらないと、上の音を出す人たちが居心地が悪くなり、気持ちよく演奏できないんです。
自分の役割を認識し、みんなと上手く演奏できるようになり、だんだんとトロンボーンが楽しくなってきました。入部した当初は「フルートをやりたかったのに」と思っていた部活動でしたが、トロンボーンを通じて、フルートだけではなくそれぞれの楽器が大事な役割を担っていることを学び、そしてみんなで一つの演奏を作り上げる楽しさを肌で感じることができました。今に生きる、貴重な、そして有意義な経験だったと思います。

進学した吹奏楽の「強豪校」
念願のフルート担当に
高校は、吹奏楽の盛んな私立の学校に、部活の推薦で進学しました。中学の部活動の先輩たちがこぞって進学した学校で、高校でも吹奏楽をやりたいと考えていた私は、迷わずその学校を選びました。その先輩たちとは中学校のときから仲が良かったこともあり、安心して進学することが出来ました。
高校の吹奏楽部では、今度こそフルートの担当になりました。推薦の面談で、高校の顧問の先生からフルートとトロンボーンのどちらを希望するか聞かれ、フルートをやりたいと自分から希望しました。トロンボーンも好きでしたし、面白いと感じていましたが、突き詰めたいのは何かと言われると、フルートです。フルートをやりたいという選択に、迷いはありませんでした。
その高校の吹奏楽部は、コンクールに向けて熱心に活動していました。吹奏楽部の大会で新潟県は西関東ブロックに属していましたが、毎年、県の代表枠を取る、いわゆる強豪校と言われるような学校です。
合宿も年に1回ではなく、春と夏、それから大会の前など、複数回実施していました。春に行われるのは、どちらかというとわきあいあいとした、楽しい、のんびりとした合宿です。各パートの講師の方から楽器の基礎を学んだり、部内の親睦を深めたりするのが目的で、緑豊かな場所で自由時間も多くありました。
一方で夏は、コンクールに向けたレベルアップがメインの合宿です。みんな目の色を変えて練習していて、わきあいあい、といった雰囲気はありません。演奏ができるホール近くのホテルに泊まり、合奏指導の先生のもと、必死に音楽を作り上げていく毎日でした。



春と夏
今に生きる合宿で得られた貴重な体験
高校時代の3年間で何度も合宿に行きましたが、一番楽しかったのは、2年生の春合宿です。私は一人っ子で兄弟がおらず、同世代の大勢の人たちと寝泊まりすることが新鮮だったんですね。さらに2年生のときは当然ながら、先輩も後輩も、さらに同じ学年の友人もいます。そういう環境で、みんなで食事をしたり、お風呂に入ったり、自由時間に楽しく話をしたり…生活をともにした一つ一つが、楽しかった思い出として残っています。
特に印象深いのは、各パートの講師の先生方による、夜のコンサートです。春合宿では、食事をする宴会場のような場所で開かれるそのコンサートが恒例になっていて、フルートだけではなく、トランペットやコントラバス、サクソフォンなど、いろいろな楽器のプロの生演奏を間近で聞くことができました。いろいろな楽器があるんだな、プロの音はやっぱり違うと、毎回贅沢な時間を楽しむことできました。
楽しい、というと表現が違うのですが、別の意味で思い出深いのは、1年生の時の夏合宿です。コンクールに向けて朝から晩まで真剣に練習し、演奏を仕上げるという初めての経験で、ある意味衝撃を受けました。同じことを何回も何回も繰り返し、もっと良くするには、と必死に考え、いろいろなやり方を試し、諦めずに何度も挑戦をする。1回できたら良しではなく、何度でもできるようになるまで追い込んでいく。それまでの私が抱いていた「これぐらいできたらOK」という基準ではダメだ、自分は全く足りていなかったのだ、と痛感しました。
吹奏楽に限らず、学生時代の部活動にはいろいろなやり方があると思います。その中で、私が通っていた、いわゆる強豪校と呼ばれるような部活動の良さは「自分と真剣に向き合うことができる」という点だと思います。もっと良く、もっと上を、という厳しい練習は、結局のところ自分が何を目指すのかに関わってきます。自分との戦いなんですね。このレベルでもういいや、と自分自身が思ってしまったら、絶対に今よりもよい音を出すことはできません。
現状に満足せず、常にもっといい音楽を目指すその姿勢は、今の仕事にダイレクトにつながっています。1年生の夏合宿は、音楽の厳しさ、そして、その上、その上、と目指していく大切さを初めて知った、貴重な経験でした。そして3年間の部活動を通じて、プロとして必要な精神力や考え方の基礎を得ることができたと思います。
自分にとっての原体験を大切に
常に音色を追求し観客に届けたい
音楽の道で生きていこうと決めたのは、高校1年生のときです。プロになりたいというよりも、フルートを吹きたい、という気持ちが強かったですね。学校の進路相談でいろいろと質問されて、自分は何をしたいのかを改めて考えたときに、やはり、一番にフルートが浮かびました。「どこの大学に行きたいか」ではなく、「フルートを吹き続けるにはどうすればよいか」と考えた結果、プロにならないといけない、そのためには音楽大学に行く必要がある、と逆説的に進路を決めました。一生フルートを吹くための進学なので、迷いはありませんでした。
フルートの魅力は、なんと言っても音色です。私の中には、小学校の公民館で初めて聞いた、あのフルートの響きが今も強く残っています。なんて美しい音色が出る楽器なんだ、と魅せられたあの日が、私にとってのフルートの原体験なんです。
だからこそ、今でもフルートで一番大切にしているのは音色です。プロになり「こういうときはこの音色を出そう」という引き出しが、自分の中にいくつかできるようになりました。しかし、既にあるその引き出しから出して終わりではなく、例えば共演者の演奏や指揮者の要求をみて、もっとこういう音の方がこの場面には合うのではないか、こういう吹き方もできるのではないか、と常に考えながら演奏をしています。

演奏をしていて一番嬉しいのは、やはり自分の音色が届いて、お客様から拍手をいただいたときです。あれこそ、何にも代えがたい瞬間であり、多分私は、そのためにずっと演奏し続けているのだと思います。
お客様に伝わる演奏を届けられるよう、今後もフルートの音色の美しさを追求し続けていきたいと思います。

プロとしてのあくなき追求、より良い演奏を求めながらも、一つ一つの言葉に、フルートに魅せられた小学生がそのまま大人になったかのような、フルートへの愛情があふれていた。
進学、卒業後の進路、と人生を大きく左右する選択においても、迷いなくフルートの道を突き進み、今なお高みを目指す。
その姿勢、そして音色に、多くの人が魅了されていることだろう。
