Vol.32 チューバ奏者
北畠 真司(きたばたけ まさし)氏
profile
●Osaka Shion Wind Orchestra(オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ)メンバー
●大阪教育大学教養学科芸術専攻音楽コース卒業。同大学院芸術文化専攻を修了。同大学卒業記念演奏会、第52回関西新人演奏会に出演。テューバを吉野竜城、武貞茂夫の各氏に師事。2019年に渡米、クリーブランドオーケストラの杉山康人氏の元で研鑽を積む。奈良県立高円芸術高等学校音楽科、相愛大学、神戸女学院大学、徳島文理大学各非常勤講師。オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラのチューバ奏者。The Osaka Brasstars、Tuba Trio “FuToMe”の各メンバー。

兄の影響で吹奏楽部に入部
希望してチューバを担当
私が音楽に興味を持つようになったのは、6歳離れた兄の影響です。小学生の時に、兄が部活でスーザフォンを吹いているのを見て「やってみたい」と思い、中学校で吹奏楽部に入部しました。
中学の部活では、兄の影響もあり希望して初めからチューバ担当になりました。僕が入部した当時、チューバの担当が先輩一人しかおらず、必ず誰かが新たに担当にならなければいけない状況でした。今思うと、違う楽器を希望しても、チューバになっていたんだろうなと思います。きっとチューバを吹く運命だったんだろうなと。
中学の吹奏楽部は、後にマーチングの大会で全国に行くくらい熱心な部でした。僕がいた当時は関西大会までしか進むことはできませんでしたが、三年間の部活動は、本当に楽しかったですね。吹奏楽そのものの楽しさだけではなく、演奏を通じていろいろな人間関係ができて、友達や先輩・後輩と深く付き合うようになり、そうした仲間と過ごした時間が楽しかったことを覚えています。

中学校で吹奏楽の楽しさを知り、高校でも続けたいと考えた僕は、部活動にも力を入れつつ、勉強面でも頑張ることができるよう、奈良県立の高田高等学校に進学しました。もちろん吹奏楽部に入部し、高校でもチューバを担当することになりました。
OBの外部指導者とともに
毎年夏休みは温泉旅館
高校の部活動では、毎年夏休みに二泊三日で合宿を行っていました。場所は吹奏楽部の合宿としては珍しい、温泉旅館。OBの先輩が探して見つけてくれた場所で、楽器をトラックで運び、部員はみんなで電車で行っていました。
部活動の指導もOBの方にお世話になっていて、外部指導者という形でOBの先輩が指揮をしてくださっていました。平日は生徒だけで夕方五時まで練習し、土日にその外部指導者が来て合奏する、というスタイルです。

合宿にもずっと付き添ってくださり、合奏はもちろん、個々の練習をみたり、生徒といろいろなコミュニケーションを取ったり、すごく積極的に関わってくださっていたことを覚えています。40歳前後の方で年齢は離れていましたが、呼び方も「先生」ではなく「先輩」。部活の先輩に教えてもらう、という感覚で、近い距離で指導を受けることができました。
その合宿はコンクールに向けたもので、個人練習やパート練習、合奏の時間など、OBの指揮者と上級生たちが話し合ってスケジュールを組み、練習をしていました。しかし実際は「お楽しみ合宿」という要素が大きく、練習だけではなく、旅館の長い廊下で「だるまさんころんだ」をしたり、夜にクイズ大会をしたり、みんなで和気あいあいと楽しく過ごす三日間でしたね。
夜中にみんなとおしゃべりを楽しんだ合宿
寝不足でベンチで眠り込んだ思い出も
僕が合宿で一番思い出すのは、とにかく「眠かった」ということです。例えば朝一番にみんなで集まってロングトーンをするのですが、特に三日目の朝は、集まった生徒たち全員が寝不足の状態だったことを覚えています。僕も例外ではなく常に寝不足で、合奏中に眠くなって怒られたこともありました。
本当は良くないのですが、どうしても夜中、眠らずにおしゃべりを楽しんでしまうんです。なんとなくみんなが集まる部屋ができて、そこに大勢が詰めかけて話しこんだり、部屋の外を歩いて、出会った人と話したり。1、2年生の時は、憧れの上級生や尊敬するOBの先輩と会話をしたい、ちょっとでも近づきたい、という気持ちでいっぱいでした。逆に自分が上級生になったときは、部屋にこもらず、一言でもいいからできる限り多くの部員と話をしようと思い、特に用事もないのに「元気?最近、どう?」と声をかけていました。
とはいえ、音楽や部活に関する真剣な話をしていたわけではありません。そうやって交流を深めるのが、ただただ楽しかったんです。100人くらい部員がいる大きな部だったので、あまり接したことがない人もいたのですが、合宿はいろいろな人と普段できないコミュニケーションをとることができる、貴重な場でもありました。
三日間の合宿を終えた後、男子部員はトラックに積んだ楽器を下ろしに旅館からいったん学校に戻ります。学校で楽器の積み下ろし作業が終わると、僕はいつも学校の敷地内にあるベンチに友人と座り込み、そのまま三時間ほど眠りに落ちていました。きっと三日間のその合宿をやり切って緊張の糸が切れ、寝てしまったのだと思います。三年間、合宿の直後は毎年そんな状態でした。
それでも、僕はみんなと交流できる合宿が本当に楽しかった。毎年楽しみで、合宿がめちゃくちゃ大好きでした。




成長して自分の前にいる人たちを追いかけたいと
音楽での進学を決意
音楽の道に進もうと決めたのは、高校三年生の、部活動を引退した後の時期です。
進路を考える上で三年間を振り返ってみると、本当に吹奏楽部一色の高校生活でした。特に学年が上がってからは、どちらかというと自分の演奏よりも、後輩たちに教える立場になることが多くなっていました。後輩のみんなに教えたり一緒に練習したりするのはとても楽しく、部活動は大好きでしたが、今後の音楽との関わり方を考えると、ちょっと違うなと思いました。卒業後に進む道では、周りに教えるのではなく、自分が追いかける立場で音楽に向き合い、もっと成長したいと思ったんです。
僕は中学生になってから音楽を始めたので、小さなころからピアノやバイオリンを習ってきた人たちと比べると、まだまだ足りないところがたくさんありました。僕は彼らよりもはるか後ろを走っている。ずっと前にいる人たちを追いかけて、同じ土俵に上がれるよう、自分を成長させてみたい……そう考えて、音楽受験に向けて、勉強を始めました。
しかし、すでに夏のコンクールが終わった時期で、受験まで半年しかありません。チューバの先生のレッスンを受けに行き、受験に必要なピアノの先生も紹介してもらい、必死で勉強しました。結局、半年では難しく、一年間浪人することになったのですが、しんどい一年間を経て合格の通知が来た時は、ものすごく嬉しかったですね。



音楽は自由で楽しく
気持ちを豊かにするもの
その後、僕は大阪教育大学に進学し、さらに大学院にも行き、チューバを本格的に学びました。卒業後は一年間だけフリーランスとして活動したあと、オオサカ・シオンに入団し、現在に至ります。
音楽について深く学び、突き詰めていくにつれて、言葉によるコミュニケーションに加えて、「音のコミュニケーション」の大切さを感じるようになりました。演奏をする上で、空気のつくり方、そして言葉ではなく音を通したコミュニケーションの取り方。それらはものすごく重要です。改めて考えると、合宿を通じてみんなと交流し、部のみんなと人間関係を築いた経験が、今に生きているのかもしれません。
現在は、奈良県の高校と大阪・兵庫の大学で、チューバ専科の非常勤講師を務めています。

学生たちを指導していて感じるのは、「吹奏楽部」という世界に閉じず、広く音楽を楽しんでほしい、ということです。あくまで、「吹奏楽」ではなく「吹奏楽部」について、ですね。
ロングトーンやタンギングが上手にできるようになる、コンクールの12分間に向けて素晴らしい演奏を作り上げるというのは、価値ある尊いことです。ただ一方で、それが辛くなったり、楽しめなくなったら、無理をしてまでそこにこだわる必要はないと思うんです。音楽の形は多様です。チューバを吹きたかったら、吹奏楽の編成に限らず、ソリストもいるし、アンサンブルもオーケストラもある。J-POPやロックなど、音楽の世界にはたくさんのアーティストがいる。
僕自身、人生のなかでしんどいとき、苦しいときにたくさんの音楽に助けられてきました。
音楽は自由で楽しいものであり、本当に気持ちを豊かにするものだ、ということを知ってほしいなと感じています。
そして、素敵な仲間とコミュニケーションを取りながら、音楽を心から楽しんでほしいですね。

